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ビスティ/デ・ナ・ジン原野|恐竜時代の湿地が奇岩の荒野になるまで

奇岩の荒野と恐竜時代の夕景 奇妙な地形・地質

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恐竜時代の湿地が「石の異世界」になるまで――ビスティ/デ・ナ・ジン原野

アメリカ南西部、ニューメキシコ州北西部には、巨大なキノコのような岩、薄い石板を何枚も重ねたような塔、灰色の斜面から突き出す奇妙な柱が点在する荒野がある。

その名は、ビスティ/デ・ナ・ジン原野(Bisti/De-Na-Zin Wilderness)

ニューメキシコ州のビスティ/デ・ナ・ジン原野に広がる灰色のバッドランズと奇岩
ビスティ/デ・ナ・ジン原野に広がる侵食地形。硬さの異なる地層が削られ、尖塔やフードゥーが形成されている。
写真:Bisti-De-Na-Zin Wilderness (9440609781)/撮影:Bob Wick, Bureau of Land Management/ライセンス:CC BY 2.0

現在の風景だけを見れば、植物もまばらな乾燥地が何千万年もかけて削られ、奇岩だらけになった場所のように思える。だが、この土地の地層がつくられた時代までさかのぼると、景色はほとんど正反対だった。

ここはかつて、川が流れ、沼地が広がり、大量の植物が育ち、恐竜が歩いていた低地だったのである。

では、湿地だった場所が、なぜ現在の「石の異世界」に変わったのだろうか。

灰色の荒野に並ぶ、帽子をかぶった石の塔

ビスティ/デ・ナ・ジン原野は、アメリカ土地管理局(Bureau of Land Management、BLM)が管理する原生自然区域である。BLMのWilderness Detail Tableに記載された面積は4万3420エーカー、約175.7平方キロメートルに及ぶ。一般向けの訪問案内では、丸めて約4万5000エーカーとも案内されている。

この一帯は、ビスティ・バッドランズ(Bisti Badlands)という名でも知られる。

バッドランズ(badlands)とは、乾燥・半乾燥地域などで、比較的軟らかい地層が雨水や流水によって激しく削られ、深い溝や鋭い尾根が複雑に刻まれた地形をいう。日本語の「荒地」という印象以上に、地表そのものが細かく解体されたような景観が特徴だ。

そこに点在しているのが、フードゥー(hoodoo)と呼ばれる柱状の奇岩である。

ビスティ/デ・ナ・ジン原野のフードゥーには、細い柱の上に大きな平たい岩が乗り、まるで傘や帽子をかぶっているように見えるものが多い。

しかし、誰かが上に岩を載せたわけではない。

むしろ重要なのは、上の岩が「残った」ことである。

奇岩をつくるのは、「削られにくさ」の差

この土地の地層は、砂岩、頁岩、泥岩、シルト岩、石炭など、性質の違う岩石が重なってできている。

そのうち比較的硬い砂岩が上にあり、その下に軟らかい岩があると、雨水や風化にさらされたとき、周囲の軟らかい部分ほど先に失われていく。

硬い砂岩が残った場所では、その真下だけが一種の屋根で守られる。

すると周囲は低くなっていくのに、屋根の下だけは柱として残る。

これが、帽子をかぶったようなフードゥーが生まれる基本的な仕組みである。

奇岩を形づくっているのは、特別な一種類の岩ではない。むしろ、硬さの違う地層が同じ場所に積み重なったことと、それらが不均等に削られたことが決定的なのである。

そして、その地層が積み重なった時代まで戻ると、現在の乾燥した景観からは想像しにくい世界が現れる。

約7400万年前、ここには湿地と川があった

白亜紀後期、北米大陸の中央部には、西部内陸海路(Western Interior Seaway)と呼ばれる巨大な海が入り込んでいた。

ビスティ周辺は、その海の西側に広がる海岸低地に近かった。

ニューメキシコ州の地質機関によると、この地域で露出するフルートランド層(Fruitland Formation)は、およそ7400万年前の沼沢地や河川環境を記録している。

流れのある場所には砂がたまり、やがて砂岩になった。

流れの弱い場所には泥がたまり、泥岩や頁岩になった。

排水の悪い沼地には大量の植物質が蓄積し、長い時間を経て石炭になった。

つまり、現在の地層に含まれる黒い石炭層そのものが、この場所がかつて植物の豊かな湿地だったことを示している。

海岸線は同じ場所に固定されていたわけではない。海の前進と後退にともなって、湿地、河川、氾濫原といった環境も位置を変えていった。

そのため現在のビスティでは、異なる環境で堆積した地層が重なり合っている。

奇岩は「7000万年前から立っていた」わけではない

ここで注意したいのは、地層の古さと、現在の地形の古さは同じではないという点だ。

およそ7000万年前前後に砂や泥が堆積したからといって、現在のフードゥーがその時代から立ち続けていたわけではない。

ニューメキシコ州の地質資料では、この地域の比較的平坦だった地表が、地質学的にはかなり新しい時代、とくに過去数千年間にもチャコ川とその支流によって強く刻まれ、現在の複雑なバッドランズが形成されてきたとされる。

言い換えれば、奇岩をつくる「材料」は非常に古いが、奇岩そのものは、その古い地層が近年まで続く侵食によって露出し、削り出された結果なのである。

この時間差を理解すると、ビスティの風景は単なる「古代の景観の残骸」ではなくなる。

恐竜時代に堆積した地層を、はるか後の侵食が現在進行形で彫刻している場所なのだ。

ビスティ/デ・ナ・ジン原野東部の白灰色の侵食地形と褐色の岩体
ビスティ/デ・ナ・ジン原野東部の侵食地形。色や性質の異なる堆積岩が複雑な景観をつくっている。
写真:Bisti-De-Na-Zin Wilderness – East 67/撮影:Alexander Hatley/ライセンス:CC BY 2.0

地面の赤色は、石炭が燃えた跡でもある

ビスティ/デ・ナ・ジン原野では、白や灰色だけでなく、黒や赤の岩も目立つ。

黒色の一部は石炭層に由来する。

さらに、この石炭層が過去に燃え、長期間続いた火災によって、周囲の粘土質の岩石が熱を受けて変質した場所がある。

こうしてできた赤い焼けた岩は、クリンカー(clinker)と呼ばれる。

つまり、この荒野の色彩は単に岩石の種類が違うだけではない。

川や沼で砂・泥・植物が堆積し、植物質が石炭になり、その一部が燃え、さらに周囲が侵食される。

異なる時代の出来事が一枚の風景の中に重なっている。

侵食は、恐竜まで地表へ連れ戻した

地層が削られることで露出するのは、奇岩だけではない。

ビスティ/デ・ナ・ジン原野では、珪化木や脊椎動物化石も見つかっている。

この地域の地層は、恐竜が生きていた白亜紀後期から、恐竜絶滅後の暁新世へと続く地質記録を含む。フルートランド層のほか、カートランド層(Kirtland Formation)、オホ・アラモ層(Ojo Alamo Formation)、ナシミエント層(Nacimiento Formation)などが露出し、環境や生物相がどう変化したのかを調べる材料になっている。

ただし、白亜紀と古第三紀の境界が、観光地の案内線のように一本くっきり地表に現れているわけではない。個々の地層の年代や境界については専門的な研究が続いており、単純化は禁物である。

それでも、この荒野が恐竜時代の重要な化石産地であることは確かだ。

その象徴ともいえる発見が、1997年に起きた。

「ビスティの獣」は地名を恐竜名に残した

1997年、この原野で大型獣脚類の化石が発見された。

研究が進み、2010年、この動物はビスタヒエヴェルソル(Bistahieversor sealeyi)という新属新種として記載された。ティラノサウロイドの一種である。

属名の前半は、ビスティの地名に由来する。

つまり、この荒野は化石を保存しただけではない。

土地そのものの名前が、その土地から見つかった恐竜の学名の一部になったのである。

発掘にも、この場所ならではの事情があった。

ビスティ/デ・ナ・ジン原野は、自然状態をできるだけ保つことを目的としたウィルダネス区域である。通常なら大型化石の発掘には重い道具や搬送手段が必要になるが、ここでは土地への影響を最小限にする必要があった。

研究記録によれば、大型標本を収めた石膏ジャケットを搬出する際には、原生自然区域での科学調査と保護規則を両立させる方法が検討され、ヘリコプターによる搬出も行われた。

地中に眠る化石を守るには掘り出さなければならないことがある。しかし、掘り出す行為そのものが原野を傷つける可能性もある。

この矛盾は、ビスティが単なる景勝地ではなく、科学と自然保護の両方にとって重要な場所であることを示している。

名前には、ナバホ語の記憶も残っている

ビスティとデ・ナ・ジンという地名は、ナバホ語に由来する。

ただし、その英訳は公的資料でも表現が完全には統一されていない。

現在の土地管理局の案内では、ビスティは「広い頁岩の丘陵地帯」に相当する意味、デ・ナ・ジンは「ツル」に由来すると説明される。一方、別の同局資料では、原語に近い形としてビスタヒ(Bistahí)を「アドベ状の地形の間」、デール・ナーシーニー(Dééł Náázíní)を「立っているツル」に相当する意味として紹介している。

したがって、この名前を一つの日本語訳だけに固定してしまうのは適切ではない。

重要なのは、現在の英語名が単なる観光用の呼び名ではなく、この地域と長く関わってきたナバホ語の地名に由来していることである。

二つの原野が、一つの保護区域になった

現在のビスティ/デ・ナ・ジン原野は、最初から現在の形だったわけではない。

1984年、アメリカ連邦法によってビスティ原野とデ・ナ・ジン原野がそれぞれウィルダネスに指定された。

1996年には二つが一つのビスティ/デ・ナ・ジン原野として扱われるようになり、区域も拡張された。

さらに2019年にも追加指定が行われている。

現在、原野内では自動車やオートバイ、自転車、ドローンなどの使用が禁止されている。整備された一般的な遊歩道も少なく、訪れる人は標識の乏しい原野を自分で判断しながら歩くことになる。

脊椎動物化石や珪化木を勝手に採集することも認められていない。

ここでは、奇岩が「観光資源」として整備されているというより、なるべく手を加えない状態そのものが保護対象なのである。

ジョージア・オキーフが見た「黒い場所」

ビスティ周辺の荒涼とした丘陵は、地質学だけでなくアメリカ美術史にも登場する。

画家ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe)は、ニューメキシコ北西部の黒灰色の丘陵地を「ブラック・プレイス(The Black Place)」と呼び、1936年から1949年にかけて何度も訪れ、12点以上の主要作品を制作した。

ジョージア・オキーフ美術館は、このブラック・プレイスをビスティ・バッドランズの景観と結びつけて紹介している。

ただし、オキーフが描いた具体的な場所を、現在の法的なビスティ/デ・ナ・ジン原野の境界内だと単純に断定することはできない。

それでも、灰色や黒の丘が連なるこの地域が、地質学者だけでなく画家をも引きつけてきたことは確かである。

この「異世界」は、失われ続けることで生まれている

ビスティ/デ・ナ・ジン原野の奇妙さは、岩が増えてできたものではない。

むしろ逆だ。

周囲が削られ、失われ続けた結果、残った部分だけがフードゥーとして立ち上がっている。

約7400万年前の湿地に砂や泥や植物がたまり、岩石と石炭になった。

その地層が地殻変動と長い侵食を経て地表に現れ、雨水や流水に削られた。

硬い岩が軟らかい岩を守った場所では柱が残り、石炭が燃えた場所では地面が赤く焼け、さらに侵食が進むことで珪化木や恐竜化石まで姿を現した。

現在の風景は、一度の大事件でつくられたものではない。

湿地、河川、海岸線の移動、堆積、石炭化、火災、侵食という、まったく性質の異なる出来事が何千万年も重なった結果である。

だからこそ、この荒野は奇妙に見える。

現在の乾燥した地表だけを見ても、その成り立ちを説明できないからだ。

石の塔の下には、かつての川と沼があり、そのさらに向こうには恐竜が歩いていた時代がある。

ビスティ/デ・ナ・ジン原野は、「異世界のような岩山」ではなく、失われた湿地の地層が、いまも侵食によって姿を変え続けている場所なのである。


参考資料・出典

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