山の中に58機を隠したジェリャヴァ地下空軍基地――核戦争に備えた要塞は、なぜ自軍に爆破されたのか
クロアチア(Croatia)とボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)の国境地帯に、山そのものを空軍基地に変えてしまった場所がある。
ジェリャヴァ地下空軍基地(Željava Air Base)は、冷戦期の旧ユーゴスラビア(Yugoslavia)が建設した巨大な地下航空施設だ。ボスニア・ヘルツェゴビナ北西部の都市ビハチ(Bihać)の西、プリェシェヴィツァ山地(Plješevica)の石灰岩の内部には、総延長約3.5キロメートルに及ぶトンネルと地下室が掘られた。
そこには戦闘機を入れるだけの空間があったわけではない。航空機の整備、作戦指揮、通信、発電、換気、燃料、弾薬、医務、食事まで、空軍基地を動かすための機能が山の中に組み込まれていた。最大で約58機を収容でき、地上には5本の滑走路が延びていた。
冷戦時代、敵の攻撃から戦闘機と司令機能を守るために造られた、ほとんど「地下の空軍都市」である。
ところが、この基地の結末は皮肉だった。
外敵の爆撃によって滅びたのではない。ユーゴスラビアが崩壊する戦争の中で、1992年5月16日、撤退する側のユーゴスラビア人民軍(Jugoslovenska narodna armija、JNA)自身によって爆破されたのである。
なぜ、これほど巨大な地下基地が必要だったのか。そして、なぜ自ら破壊しなければならなかったのだろうか。
山の中にあったのは「地下滑走路」ではない
ジェリャヴァについては、ときどき「山の中に滑走路がある秘密基地」のように紹介される。
しかし実際には、滑走路そのものは地上にあった。

写真:Entrance into the tunnel of Željava Airforce base, Croatia.jpg/作者:MarioMagdic/ライセンス:CC BY 4.0
山体内部に造られたのは、航空機を収容し、整備し、戦闘に備えさせるための巨大な地下施設である。資料では地下施設をクレク(Klek)、あるいはオブジェクト505(Objekt 505)と呼ぶ例がある。ただし、この二つの名称の正式な関係や使われた時期については資料に揺れがあるため、一つの「正式名称」と決めつけるのは避けたほうがよい。
地下には主となる航空機ギャラリーが3本あり、クロアチア技術百科事典はそれぞれおよそ400メートル、500メートル、350メートルと記している。航空機用の坑口は4か所。トンネル全体では約3.5キロメートルに達した。
そこへ収容された主力機が、ミグ21(MiG-21)だった。
戦闘機は地下でエンジンを吹かしながら走り回ったわけではない。閉鎖空間でジェット排気や燃料蒸気を発生させる危険を避けるため、地下では牽引車によって移動し、坑口から地上へ出た後に自力走行して滑走路へ向かった。
つまりジェリャヴァの異様さは、「地下から飛び立つ」ことではなく、戦闘機とその運用機能を丸ごと山の中へ隠したことにある。

写真:Abandonded Runway at Željava Airforce Base.jpg/作者:MarioMagdic/ライセンス:CC BY 4.0
なぜプリェシェヴィツァ山地だったのか
この基地を成立させたのは、軍事技術だけではない。地質も重要だった。
プリェシェヴィツァ山地は、石灰岩やドロマイトを主体とするカルスト地形である。厚い岩盤の内部に施設を埋め込めば、地上の格納庫よりはるかに見つかりにくく、爆撃や爆風にも強い。
ただし、カルストには別の問題がある。
石灰岩は水に溶かされ、長い時間をかけて洞窟や亀裂、地下水路をつくる。ジェリャヴァの掘削でも自然の空洞が現れた。設計関係者の証言では、洞窟学者の協力を得ながら調査し、大きな空洞を鉄筋コンクリート構造でまたいだ場所もあったという。
人間が掘った軍事トンネルのすぐ裏側に、自然がつくった洞窟が存在していたのである。
山地の高所、ゴラ・プリェシェヴィツァ(Gola Plješevica、標高1,648メートル)にはレーダー施設も置かれた。山上で空を監視し、山中に戦闘機を隠す。ジェリャヴァは単独の地下格納庫ではなく、監視・迎撃を組み合わせた防空システムの一部だった。
発想の背景にはスウェーデン視察があった
この巨大計画が具体化していくのは1950年代である。
設計主任ドラゴスラヴ・ソボトカ(Dragoslav Sobotka)の回想によると、1954年、ユーゴスラビアの空軍代表団はスウェーデン(Sweden)を訪れ、地下の航空機シェルターや燃料施設、軍需関連施設を視察した。
翌1955年には計画・設計のための組織がつくられ、1950年代半ばから本格的な建設が始まったとみられる。建設開始年については資料差があり、1956年を示す資料が複数ある一方、クロアチア技術百科事典には設計を含めて1948~1968年とする記述もある。
したがって、ジェリャヴァは「1956年に突然始まった計画」と断言するより、1950年代半ばに建設が本格化し、1968年までに実用化したと捉えるのが妥当だろう。
1968年には、チェコスロヴァキア(Czechoslovakia)で「プラハの春」が起き、その後ワルシャワ条約機構(Warsaw Pact)軍が侵攻した。ソビエト連邦(Soviet Union)と距離を置いていたユーゴスラビアにとって、東西どちらから圧力を受けるか分からない冷戦環境は現実の安全保障問題だった。
巨大地下基地は、そんな不安の時代に完成した。
地下には「基地を生かし続ける仕組み」があった
ジェリャヴァの本当の規模は、トンネルの長さだけでは分からない。
地下には航空機格納・整備区域のほか、作戦指揮、通信、航空管制関連設備、武器・弾薬、燃料、非常用発電、換気・空調、医務室、厨房、食堂、衛生設備、休養設備などが設けられていた。

写真:Željava, Underground 1.jpg/作者:Ballota/ライセンス:CC BY-SA 4.0
設計関係者の証言では、外部から切り離された状態でも約30日間の自立運用を想定していたという。
燃料供給も大掛かりだった。専門資料では、ビハチ近郊の別施設から約15キロメートルの地下パイプラインで燃料を送る仕組みがあったとされる。さらに、水の上に燃料を浮かせる方式を利用した地下タンクも設けられていたという。
通常の飛行場なら、燃料庫、発電施設、司令部、整備庫、兵員施設は地上の広い範囲に分散する。
ジェリャヴァは、その多くを山の内部へ押し込んだ。
敵に見つかりにくくし、攻撃を受けても戦闘能力を残す。その思想を突き詰めた結果、山一つが巨大な軍事装置になったのである。
核戦争を意識していたが「核爆弾の直撃に耐える」とは言えない
ジェリャヴァは、しばしば「核攻撃にも耐えられる基地」と紹介される。
この表現には注意が必要だ。
設計関係者の証言では、20キロトン級の地上核爆発を想定した防護条件が設定されていたとされる。坑口を分散させ、防護扉や緩衝区画を設け、爆風や衝撃への備えを組み込んだこと自体は、冷戦期の核戦争を強く意識した設計だったことを示している。
しかし、それは「20キロトンの核兵器が基地を直撃しても無傷だった」と証明されたという意味ではない。
ジェリャヴァの凄さは、「無敵の地下要塞」だったことではなく、核時代の戦争を前提に、航空基地そのものを生き残らせようとした発想にある。
極秘基地でも、宇宙からは見つかっていた
さらに興味深いのは、この基地が「秘密」でありながら、西側には完全な秘密ではなかったことだ。
機密解除された米国中央情報局(Central Intelligence Agency)の資料には、国家写真解析センター(National Photographic Interpretation Center)が1968年に解析したビハチ飛行場の情報が残っている。
そこでは、4つの地下施設坑口、それらへ接続する誘導路、滑走路などが衛星写真から識別されていた。
地下施設そのものは岩山に隠せても、戦闘機が出入りする坑口や誘導路、巨大な滑走路までは消せない。
莫大な労力をかけて山の内部へ基地を隠しても、冷戦はすでに「上空から国土全体を観察できる時代」に入っていたのである。
この事実は、ジェリャヴァの物語にもう一つの皮肉を加える。
隠す技術が巨大化すると同時に、見つける技術もまた巨大化していた。
1991年、基地そのものが国家崩壊の舞台になった
冷戦が終わるころ、ジェリャヴァが恐れていた「外部からの大規模攻撃」は起きなかった。
代わりに起きたのは、ユーゴスラビアそのものの解体だった。
1991年10月、クロアチア人パイロットのルドルフ・ペレシン(Rudolf Perešin)はジェリャヴァから戦闘機で離陸した後、オーストリア(Austria)へ飛び、ユーゴスラビア人民軍から離脱した。
1992年2月4日には、ダニエル・ボロヴィッチ(Danijel Borović)が同じ基地からミグ21をクロアチア側へ移し、プーラ(Pula)に着陸している。
かつては外部の敵から航空戦力を守るための基地だった場所が、今度は内部で分裂していく国家の象徴になった。
そして1992年5月16日、ジェリャヴァの運命は決まる。
撤退するユーゴスラビア人民軍は、地下施設と滑走路を爆破し、基地を再利用しにくい状態にした。爆薬量については約56トンとする資料もあるが、数字の出典には不確実さが残るため、確定値とは扱えない。
重要なのは量ではない。
何十年もかけて、敵に破壊されないよう山の中へ造った施設を、最後は自軍が破壊したという事実である。
ジェリャヴァを滅ぼしたのは、想定されていた核戦争ではなかった。
それを建設した国家そのものが消えていく戦争だった。
爆破によって、人工トンネルの裏から自然の洞窟が現れた
破壊後のジェリャヴァには、軍事史とは別の奇妙な側面も生まれた。
爆破でコンクリート覆工が壊れた結果、その背後に隠れていた天然のカルスト空洞が露出した場所がある。かつて軍が洞窟を避け、補強しながら造った人工施設が、破壊によって再び自然地形とつながったのである。
このため、旧基地は洞窟学的な調査対象にもなった。
ただし、廃墟としての魅力と安全性は別問題だ。
損傷した地下構造には崩落の危険があり、旧軍事施設に由来する油類や化学物質による汚染も懸念されてきた。さらに国境地帯という場所そのものが、訪問を単純な廃墟探訪では済ませない。
現在は「廃墟」で終わらない場所になりつつある
現在のジェリャヴァを語るとき、かつての「地雷だらけの危険地帯」というイメージだけで説明するのも正確ではなくなっている。
クロアチア政府は2026年3月、国内の既知の地雷危険地域が解消されたと公式に発表した。ジェリャヴァ周辺を含む国境地域でも、それ以前から地雷除去事業が進められていた。
一方、ボスニア・ヘルツェゴビナ側では状況が複雑だ。2024年には旧飛行場の一部区域で地雷除去完了が報じられたものの、2025~26年の地雷対策計画には「ジェリャヴァ飛行場」にあたる区域がなお掲載されている。
したがって、「基地全域が完全に安全になった」と考えるのは早い。
地雷以外にも、不発弾、崩落、汚染、立入規制、そしてクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境管理という問題が残る。遺構が国境線にまたがって見えるからといって、旧滑走路や山中を歩いて自由に越境できるわけでもない。
その一方で、ジェリャヴァを再利用しようとする動きもある。
近年、クロアチア側のリカ=セニ郡(Ličko-senjska županija)とビハチ市の間では、観光、スポーツ航空、再生可能エネルギーなどを含む活用可能性が検討されている。地上部ではイベント利用も行われている。
つまりジェリャヴァは、単に朽ち続ける冷戦遺跡ではない。
軍事遺産、国境、地雷除去、観光、地域開発が重なり合う、今も扱い方が変化し続けている場所なのである。
山に隠した基地が残したもの
ジェリャヴァ地下空軍基地の規模だけを見れば、数字は確かに派手だ。
地下トンネル約3.5キロメートル。航空機用坑口4か所。最大約58機。地上滑走路5本。
だが、この場所を本当に異様にしているのは、巨大さだけではない。
冷戦の恐怖に備えて山をくり抜き、戦闘機だけでなく、電力、燃料、通信、医療、食料まで地下へ持ち込んだ。核時代を生き延びるための施設だった。しかし、その基地を最終的に破壊したのは、想定していた外国軍ではなく、それを築いた国家の崩壊だった。
しかも「秘密基地」は、完成した1968年にはすでに米国の偵察衛星によって存在を把握されていた。
守るために地下へ潜り、隠すために山を削り、それでも空から見つかり、最後は自ら爆破する。
ジェリャヴァは巨大な軍事構造物であると同時に、冷戦という時代の矛盾そのものを岩山の中に残した遺跡なのである。
参考資料・出典
- Hrvatska tehnička enciklopedija「fortifikacijsko graditeljstvo」
- Hrvatska tehnička enciklopedija「aerodrom」
- Hrvatska tehnička enciklopedija「tunel」
- Hrvatska enciklopedija「Plješevica」
- Slovenian Ministry of Defence, Revija Slovenska vojska, November 2024
- Hrvoje Grgić, “Podzemni aerodrom Željava – Objekt 505”, Speleolog 56 (2008)
- Dajana Rokvić, Militarized landscape at the border between Bosnia and Herzegovina and Croatia, TU Wien (2014)
- National Security Archive掲載・CIA/NPIC “UNDERGROUND AIRCRAFT DISPERSAL, BIHAC AIRFIELD, YUGOSLAVIA”
- Croatian Civil Protection「Republic of Croatia free of mine danger」
- Anti-Personnel Mine Ban Convention – Bosnia and Herzegovina 2025–26 Work Plan Update
- Federalna「Završeno deminiranje bosanskog dijela nekadašnjeg vojnog aerodroma Željava」
- Croatian Ministry of Interior「Schengen FAQ」
- Lika-Senj County – Bihać市長との会談(2025年8月22日)
- Lika-Senj County – ジェリャヴァ活用構想
- HRT – Rudolf Perešin
- Croatian Ministry of Defence – Danijel Borović / “Prelet za Hrvatsku”





