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リング・オブ・ブロッガーの謎|巨大な石の輪はなぜ造られた?

リング・オブ・ブロッガーの謎と朝焼け 考古学・古代文明の異景

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なぜここに、さらに巨大な輪が必要だったのか――リング・オブ・ブロッガーの謎

スコットランド(Scotland)北方のオークニー諸島(Orkney Islands)には、約5000年前の石造遺跡が驚くほど密集している。その中心にあるのが、リング・オブ・ブロッガー(Ring of Brodgar)だ。

直径約103〜104メートルの円周上に巨石を並べ、その外側には直径約123メートル、もとは幅約10メートル・深さ約4メートルに達した巨大な溝が掘られていた。スコットランド最大のストーンサークルである。

これほど大規模な記念物なら、何のために造られたのかもよく分かっていそうに思える。

ところが実際には、築造年代さえ完全には確定していない。石と溝のどちらが先だったのか、本当に60基の石が完成していたのか、中心部で何が行われていたのかも分からない。

リング・オブ・ブロッガーは、「巨大だからよく分かっている遺跡」ではない。

むしろ、巨大なのに核心が分からない遺跡なのである。

オークニー諸島のリング・オブ・ブロッガーに立つ新石器時代の巨石群
リング・オブ・ブロッガーの石環。直径は約103〜104メートルに及ぶ。
写真:Ring of Brodgar 2026 1.jpg/作者:Ekrem Canli/ライセンス:CC BY-SA 4.0

二つの湖にはさまれた巨大な円

リング・オブ・ブロッガーがあるのは、オークニー諸島のメインランド島(Mainland)西部。淡水のハリー湖(Loch of Harray)と、海水の影響を受けるステネス湖(Loch of Stenness)にはさまれた細い陸地に位置している。

ハリー湖を背景に並ぶリング・オブ・ブロッガーの立石
リング・オブ・ブロッガーと、その背後に広がるハリー湖。
写真:Ring of Brodgar, Orkney.jpg/作者:Stevekeiretsu/ライセンス:CC BY-SA 3.0

現在の石環は、直径約103〜104メートル。

石の高さはおよそ2.1〜4.7メートルあり、2025年版の公式評価資料では21基が直立している。一方、倒れた石や切株状の残存部まで含めると、36基が何らかの形で残っているとされる。

長いあいだ、「もともとは60基の石があった」と説明されてきた。

しかし、これは意外にも確定事項ではない。

ヒストリック・エンバイロメント・スコットランド(Historic Environment Scotland)の最新評価では、約60基分の石を配置できる空間があったとされる一方、新石器時代の人々が実際に60基すべてを立て終えたかどうかは分からない。長い時間の中で石が徐々に追加され、遺跡の姿そのものが変化した可能性も残っている。

そのため、「60本の巨石が完成した輪」という姿も、確定した完成形として扱うことはできない。

石の輪より異様なのは、その外側の溝かもしれない

巨大な立石ばかりに目が向きやすいが、この遺跡で本当に異様なのは、その外側に掘られた環状溝かもしれない。

この溝は、柔らかい土を掘ったものではない。

岩盤を直接掘り込んで造られている。

詳細な調査では、溝の直径は約123メートル。本来の幅は約10メートル、深さは約4メートルと推定されている。

しかも、溝は一周を連続して掘ったのではなく、複数の区画に分けて施工された形跡がある。

岩盤の自然な割れ目を利用しながら、ハンマーストーンや楔、鹿角製の道具などを使って岩を砕き、少しずつ掘り下げたらしい。

この施工方法からは、複数の共同体がそれぞれ別の区画を担当したのではないか、という説も出ている。

ただし、これはまだ仮説である。

分かっているのは、紀元前3千年紀中葉ごろの人々が、生活に直接必要とは思えない巨大な円形の溝を、岩盤に刻み込むほどの労力を投入したということだ。

「ヘンジ」なのに、土塁が見つからない

リング・オブ・ブロッガーは、しばしばヘンジ(henge)と呼ばれる。

ヘンジとは一般に、円形や楕円形の儀礼的空間を溝と土塁で区切った新石器時代の記念物を指す。

ところが、リング・オブ・ブロッガーには典型的な外側の土塁が確認されていない。

1973年と2008年の発掘でも、土塁の明確な痕跡は見つからなかった。

掘り出した大量の岩石はどこへ行ったのか。

一部は内側の地面を整えるために使われた可能性があるが、すべてを説明できるわけではない。

巨大な溝そのものは残っているのに、その工事で生まれたはずの大量の掘削物の行方がよく分からない。

この点も、遺跡の大きな謎の一つになっている。

リング・オブ・ブロッガーの石環を横長に見渡したパノラマ
広い土地に展開するリング・オブ・ブロッガーの石環。
写真:RingofBrodgar.jpg/作者:Nachosan/ライセンス:CC BY-SA 3.0

いつ造られたのかさえ、石そのものからは分からない

一般には、リング・オブ・ブロッガーは紀元前2600〜2400年ごろに造られたと紹介されることが多い。

しかし、この年代には注意が必要だ。

年代測定の中心になったのは、石そのものではなく、溝の堆積物である。

2008年の再発掘では、放射性炭素年代測定に適した試料を溝底から得られなかった。そのため、土砂が最後に光を浴びた時期を調べる光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence)年代測定が用いられた。

その結果をベイズ統計で解析した研究では、溝が掘られた時期は95%の確率で紀元前2750〜2210年、より狭い68%の範囲では紀元前2600〜2330年と推定された。

つまり、紀元前3千年紀中葉ごろという見方はかなり有力である。

ただし、ここで分かるのは主に「溝の年代」であって、「石環が完成した年代」ではない。

石が先だったのか。

溝が先だったのか。

同時に造られたのか。

現在のところ、その順番は分かっていない。

さらに不可解なのは、この場所がすでに特別だったこと

リング・オブ・ブロッガーだけを見ていると、巨大な記念物が突然この場所に現れたように感じる。

しかし、周囲に目を向けると状況は逆である。

近くにはステネスの立石群(Stones of Stenness)、ネス・オブ・ブロッガー(Ness of Brodgar)、バーンハウス集落(Barnhouse Settlement)など、新石器時代の重要遺跡が集まっている。

さらに少し離れた場所には、メイズハウ(Maeshowe)やスカラ・ブレイ(Skara Brae)がある。

このうちリング・オブ・ブロッガー、ステネスの立石群、メイズハウ、スカラ・ブレイの4遺跡は、「新石器時代のオークニー中心地(Heart of Neolithic Orkney)」の主要構成資産として世界遺産に登録されている。ネス・オブ・ブロッガーやバーンハウス集落も、この広大な先史時代景観を理解するうえで重要な周辺遺跡である。

そして年代関係を考えると、リング・オブ・ブロッガーの溝が掘られるころには、ステネスの立石群、バーンハウス、ネス・オブ・ブロッガーなどはすでに存在していた可能性が高い。

つまり、ここは何もない土地ではなかった。

周辺景観には、それ以前から居住地や儀礼的建造物が築かれ、人々の活動が何世代にもわたって重ねられていた。

そこで新たに、直径100メートルを超える巨大な石の輪と岩盤の溝が造られた。

問題は、「なぜここを選んだのか」だけではない。

より正確には、

なぜ、すでに特別だった場所に、さらにこれほど巨大な記念物を加える必要があったのか。

ということになる。

巨石は、異なる場所から運ばれた可能性がある

リングを構成する石は、すべて同じ石材ではない。

調査では、最大で7種類ほどの異なる岩相や石材供給地が含まれる可能性が指摘されている。

候補となる採石地には、ハウトン(Houton)、スタニーヒル(Staneyhill)、ヴェストラ・フィオルド(Vestra Fiold)などがある。

ヴェストラ・フィオルドはリングから北西へ約10キロ離れた丘で、採石されたまま運ばれなかった巨石も確認されている。

もし複数の地域から石が持ち込まれたのなら、リング・オブ・ブロッガーは単なる建造物ではなく、異なる土地や共同体を一つの円に集める装置だった可能性も考えられる。

異なる集団が石を持ち寄ったのか。

採石地そのものに象徴的な意味があったのか。

そこまでは分からない。

確実に言えるのは、石材が一様ではなく、複数の供給地が候補として挙げられていることだ。そこから社会集団との関係を読み取る考え方は、興味深いが未証明の仮説である。

中央には何があったのか

これほど巨大な円なら、その中央には祭壇や建物があったのではないか。

そう考えたくなる。

ところが、リング中央部では近代的な発掘が行われていない。

地球物理探査でも内部について得られた情報は限られている。

そのため、中心部に建物があったのか、木柱が立っていたのか、何もなかったのかさえ分からない。

「円の中心で何をしていたのか」という最も知りたい問いに、考古学はまだ十分答えられていないのである。

生者と過去の共同体との関係にかかわる儀礼の場だった、という解釈がある。

太陽や月など天体の動きと関係していたという説も繰り返し提案されてきた。

しかし、公式評価でも、天文学的な用途を決定づける証拠は得られていない。

「古代の天文台だった」と言い切れる段階ではない。

周囲に残る墳丘と後世の埋葬

リングの周囲には、少なくとも13基の先史時代の墳丘や埋葬施設が存在する。

そのうちプラムケーキ・マウンド(Plumcake Mound)では、19世紀の調査で石棺状の構造から火葬人骨が見つかった。

その焼骨の一部は、紀元前1745〜1566年ごろと年代測定されている。

これは、少なくとも溝が掘られたと推定される時期から数百年後、青銅器時代前期にも、この場所が埋葬に利用されていたことを示す。

巨大な円は、一度造られて完全に忘れられたわけではなかった。

少なくとも後世の人々も、その周辺を死者と関わる場所として利用していたのである。

新石器時代の石の間を、軍用車両が走った

リング・オブ・ブロッガーの歴史には、意外な近代の一幕もある。

現在の立石は、何千年間もすべて同じ状態で立っていたわけではない。20世紀初頭、倒れていた石の一部が再び立て直された。

さらにヒストリック・エンバイロメント・スコットランドの公式評価資料には、遺跡が1941年に戦車訓練に使われたらしいことが記録されている。

帝国戦争博物館には、同年6月18日、ゴードン・ハイランダーズ第9大隊のブレン・ガン・キャリアが立石の間を通過する写真が残されているという。

新石器時代の巨石の間を、装軌式の軍用車両が通過する。

遺跡の長い時間軸の中でも、きわめて異質な一場面である。

巨人が踊り、朝日で石になったという伝承

考古学とは別に、リング・オブ・ブロッガーには地元の伝承も残されている。

昔、この石々は巨人だった。

夜になると円をつくって踊り、近くのコメット・ストーン(Comet Stone)は、その踊りに合わせて音楽を奏でるフィドル奏者だった。

しかし朝日を浴びた瞬間、彼らは石になった――。

もちろん、これは考古学的事実ではない。

ただ、こうした伝承は、遺跡が後世の人々にとっても単なる古い石の集合ではなく、物語を生む場所であり続けたことを示している。

現代にも、夏至や冬至の集まり、ペイガン系の儀礼や結婚式などがこの場所で行われてきたことが同機関の資料に記録されている。

分からないことが多いからこそ、この遺跡は面白い

リング・オブ・ブロッガーについて、確実に分かっていることは意外に少ない。

巨大な石環がある。

その外側に岩盤を掘った深い溝がある。

周囲には新石器時代の重要遺跡が集中している。

そして、この場所が長い時間にわたって特別な意味を持ち続けた形跡がある。

しかし、

石と溝のどちらが先だったのか。

石は本当に60基すべて立てられたのか。

中央で何が行われていたのか。

なぜこれほどの労力をかけたのか。

その答えは、まだない。

巨大な遺跡を見ると、つい「何か大きな答え」があるように思ってしまう。

けれどリング・オブ・ブロッガーが残しているのは、答えよりも巨大な疑問である。

紀元前3千年紀中葉ごろ、すでに特別だった湖の間の土地に、人々はさらに大きな円を描いた。

その理由が分からないままだからこそ、この石の輪は今もなお、新石器時代のオークニーを象徴する最も不可思議な風景の一つであり続けている。

参考資料・出典

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