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龍游石窟|巨大地下空間の構造は分かっても、年代と用途が定まらない理由

龍游石窟の巨大な地下空間と石柱、壁面の彫削跡や水面を描いた古代石窟の内部イメージ 謎の人工物・巨大構造物

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龍游石窟2号洞の傾斜した天井と岩盤から削り残された巨大な石柱
小南海石室2号洞。傾斜した天井と巨大な石柱、壁面の加工痕が見える。
Photo: Zhangzhugang / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

1992年6月、中国浙江省の石岩背村で、村人たちは「底なし」と呼ばれていた池の水を抜き始めた。4台のポンプを動かし続けても水はなかなか減らず、17日目になってようやく、池の底ではなく石の壁が姿を現した。さらに水位が下がると、そこには高い天井と巨大な柱を持つ地下空間が広がっていた。

壁や天井には規則的な鑿痕が走り、岩盤から削り残された柱や階段もある。自然にできた洞窟ではない。人が岩山そのものを掘り抜いて造った空間だった。

これほど大きな地下構造物なら、最初に浮かぶ疑問は「どうやって造ったのか」だろう。ところが龍游石窟を調べていくと、その問いには意外なほど具体的な答えが見えてくる。むしろ現在も決め手がないのは、別の三つの問いである。いつ、誰が、何のために造ったのか。

池の水を抜くと、巨大な地下空間が現れた

龍游石窟があるのは、浙江省衢州市龍游県の小南海鎮、衢江の北側にある鳳凰山周辺だ。1992年6月9日、呉阿奶ら4人の村人が池の排水を始め、6月25日までの17日間で巨大な洞室が姿を現した。その後、周辺の池も調べられ、鳳凰山の狭い範囲に多数の人工洞室が存在することが分かっていった。

現在の景区公式サイトは、約0.38平方キロメートルの範囲に24の大型洞窟が集中すると説明している。個々の空間は数百平方メートルから3,000平方メートルを超えるものまであり、最大高は約30メートルとされる。小さな入口から地下へ降りると内部が大きく広がり、天井は傾き、何本もの石柱が岩盤を支えている。

龍游石窟5号洞の広い地下空間と傾斜天井を支える石柱
小南海石室5号洞。岩盤から削り出された地下空間と石柱の規模が分かる。
Photo: Zhangzhugang / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

目を引くのは規模だけではない。壁、天井、柱の表面には斜め方向の鑿痕が広く残り、内部には岩を削り残して造った階段もある。巨大な空洞を掘ったあとに柱を運び込んだのではなく、もとの岩盤から必要な部分を残しながら空間を形づくったことが分かる。

「24洞」という数字も、対象範囲をはっきりさせて読む必要がある。『衢州市志』は、鳳凰山約0.38平方キロメートルで24洞を確認し、さらに棚田の下に水没していた12洞を合わせて36洞と記録している。周辺地域にも石室が分布するため、龍游周辺に存在する石室群全体と、観光地として知られる鳳凰山の主要洞群は同じ範囲ではない。

それでも、地表近くにこれほど大きな空間を多数掘れば、別の疑問が生まれる。なぜ天井は落ちず、柱は折れず、長い時間を残ることができたのか。

自然洞窟ではない――岩盤から削り出された巨大構造

工学研究によると、主要な洞室は白亜紀の泥質シルト岩の中に掘られている。洞室の多くは地表からそれほど深くない位置にあり、大きなスパンを持ちながら、天井までの岩盤が薄い場所もある。地下深くに厚い岩盤で守られた空間ではなく、むしろ構造的には慎重な設計を必要とする条件だった。

そこで重要になるのが、龍游石窟に共通する傾斜した天井と石柱である。2011年の研究では、主要洞の天井の傾きが岩層の傾斜とよく対応し、数値解析でも、水平な天井を仮定した場合より周囲の岩盤の変形を抑える効果が示された。柱も単純な円柱ではなく、断面や天井との接続部分に特徴があり、屋根を支えるうえで有利に働くと分析されている。

龍游石窟の地表、岩層、傾斜天井、石柱、洞室、洞底の関係を示す模式図
龍游石窟の構造関係を単純化した模式図。縮尺・角度・配置は実測図ではない。

こうした特徴を見ると、龍游石窟を造った人々は、岩をただ大量に取り除いたわけではなかったらしい。どの岩層を残し、どこに柱を置き、どの方向へ掘り進めるかを判断しながら空間を作っていた。

では、その方法は現在の科学でも説明できないようなものだったのだろうか。

崩れない理由は「未知の技術」ではなかった

2011年の研究は、洞内に残る施工途中の痕跡などから、掘削の手順を復元している。まず入口を設け、そこから上部を起点として、岩を層状に上から下へ削っていく。天井、壁、柱を同じように少しずつ形づくり、洞底へ向かって空間を広げていったというものだ。

1号洞と5号洞では短い鋼製の鑿も見つかっている。研究者は、石材を矩形に切り出す途中の痕跡から、溝を刻み、穴へ鑿を入れ、岩塊を分離して運び出す工程も復元した。細部には推定が残るものの、「どのような道具で岩を取り除いたのか」まで完全に手がかりがないわけではない。

さらに興味深いのが、掘る前の場所選びである。2016年の研究では、完成した洞室では不安定要因になりうる粘土質の薄層が比較的少ないことが調べられた。近くには途中で放棄された試掘状の坑道もあり、その場所では軟らかい泥岩層が確認されている。造営者が岩盤を実際に確かめ、条件が悪ければ別の場所へ移った可能性が高い。

傾斜天井、柱、岩層の選択、上から下への施工。これらを合わせると、巨大空間が存在すること自体を「未知の超技術」で説明する必要はない。研究が進んだことで、設計と施工の考え方はむしろ少しずつ具体的になっている。

ここで龍游石窟の謎は消えるように見える。だが、実際にはここからが難しい。造り方をある程度復元できても、造られた年代そのものは同じようには確定できないからだ。

「約2000年前」は、確定した建設年代ではない

龍游石窟はしばしば「約2000年前に造られた」と紹介され、工学論文の題名にもその表現が使われてきた。しかし2011年の総合研究を読むと、この数字の扱いはもっと慎重である。

研究者たちは、洞内から炭素14年代測定に使える未攪乱の土壌試料や木材試料を得られなかったため、建設時期は確定できないとしている。そのうえで重要な手がかりとして挙げているのが、2001年に2号洞の泥質堆積物から見つかった施釉陶器だ。復元された二つの不完全な壺は、現地の考古学者らによって前漢期、紀元前206年から紀元23年ごろの型式と判断された。

ただし、ここには一段階の仮定が入る。その壺が約2000年前に洞内へ置かれたものなら、洞はそれ以前に存在していたことになる。しかし陶器が前漢期のものだからといって、そのまま洞室の掘削年を示すわけではない。2011年論文の著者自身も、建設年代は確認できないとしたうえで、議論を進める便宜上「約2000年前」を採用している。

さらに、2013年に国務院が公表した全国重点文物保護単位の一覧では、龍游石窟を含む「小南海石室」の時代欄は「宋至清」となっている。これは工学研究や観光案内で広く使われる「約2000年前」という説明とは一致しない。

龍游石窟の前漢期陶器、直接年代測定試料の不足、公的年代表記の違いを整理した図
「約2000年前」という紹介と、建設年代の直接確定が別問題であることを整理した図。

どちらか一方の数字だけを選べば、話は簡単になる。だが現在の資料から安全に言えるのは、龍游石窟には古い年代を示唆する複数の手がかりがある一方、洞室そのものの建設年を直接確定する証拠はまだ不足している、というところまでだ。

年代が決まらない以上、次の問いはさらに難しくなる。これほどの工事を、何のために行ったのか。

採石場、墓、倉庫――用途の候補はあっても決定打がない

龍游石窟の用途については、発見後さまざまな説明が提案されてきた。2011年の研究が整理しただけでも、採石、陵墓、地下倉庫、道教に関係する空間、秘密の軍事施設、祭祀の場所、宮殿などが挙げられている。

巨大な量の岩石が取り除かれている以上、採石場という考えには分かりやすさがある。一方で、現在知られている洞室の形や配置、残された痕跡をどう説明するかという問題があり、研究は特定の用途へ合意していない。ほかの説も同様で、一部の特徴を説明できても、全体を決定づける証拠にはなっていない。

この違いは重要だ。龍游石窟について「何も分かっていない」わけではない。岩盤の性質、施工の順序、柱や天井の働きなど、現地調査と工学解析でかなり具体的に分かってきた部分がある。その一方で、建設主体と目的のように、歴史資料や考古学的証拠がなければ最後の一線を越えられない問いが残っている。

巨大だから謎なのではない。巨大な空間をどう造ったかが見えてきたあとでも、「なぜ造ったのか」が残る。そのため龍游石窟は、研究が進むほど謎の輪郭がはっきりする遺跡でもある。

巨大石窟はいまも変化し、保存研究が続いている

龍游石窟は、発見されたときの状態のまま静止しているわけでもない。2011年の研究では、水を抜いて公開された主要洞で、亀裂、漏水、小規模な落石、天井岩の剥離などが報告されている。長く水に満たされていた環境そのものが、岩盤の保存に関係していた可能性も指摘された。

その後も研究は続き、2023年には湿度変化と洞室安定性の関係が解析された。研究では、湿度変動の影響を受ける場所として天井が特に重要で、亀裂が湿気の移動と応力発生を促す経路になりうることが示された。2024年の3号洞研究では、3Dレーザースキャンによる高精度モデルを使い、天井亀裂の分布と進展が調べられている。

つまり、龍游石窟の研究対象は過去だけではない。誰が造ったかを追う考古学的な問いと同時に、現在ある巨大空間をどう保全するかという問題も進行中である。

現在、龍游石窟は全国重点文物保護単位「小南海石室」の一部として保護され、観光地として見学できる。2026年9月に確認した景区公式情報では、通常の開園時間は8時から16時30分、成人料金は85元と案内されている。料金や入場条件は変わる可能性があるため、訪問前には公式情報を確認したい。

1992年、池から水が消えていくにつれて現れた巨大な石の空間は、当時よりずっと多くのことが分かる場所になった。斜めの天井には岩層との関係があり、柱には構造上の意味があり、掘削にも復元できる手順がある。

それでも、最初に浮かぶ問いのすべてが消えたわけではない。

いつ、誰が、何のために、この規模の地下空間を造ったのか。

龍游石窟の面白さは、答えが一つもないことではない。調査によって答えられる部分が増えたからこそ、証拠の届かない空白が以前よりはっきり見えることにある。池の底から現れたのは巨大な地下空間だけではなく、工学では解ける問いと、歴史資料がなければ解けない問いの境界でもあった。

参考資料・出典

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