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ブズルジャ記念館|山頂の巨大UFO建築が廃墟になった理由

霧に浮かぶ巨大UFO廃墟 謎の人工物・巨大構造物

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山頂に眠る巨大円盤、ブズルジャ記念館――なぜ共産主義の象徴は廃墟になり、いま残されようとしているのか

ブルガリア中部、バルカン山脈の高い尾根に、巨大な円盤が乗っている。

遠くから見ると、山頂に着陸した宇宙船のようにも見える。円盤の脇には細長い塔が立ち、その上部には巨大な赤い星が埋め込まれている。窓を失い、風雪にさらされた現在の姿だけを見れば、「誰が、何のためにこんな建物を造ったのか」と思いたくなる風景だ。

ブルガリアの山頂に建つブズルジャ記念館の円盤状本体と塔
ブズルジャ記念館の円盤状の本体。2025年撮影。未来的な外観から「UFO」のように語られることがあるが、本来は花輪と旗を象徴する記念建築として設計された。
写真:Buzludzha 2025g 131714910.jpg/作者:Michał Derela/ライセンス:CC BY-SA 4.0

しかし、ブズルジャ記念館(Buzludzha Monument)の正体そのものは、決して謎ではない。

これはブルガリア共産党(Bulgarian Communist Party)が、自らの歴史と国家の社会主義的未来を巨大建築として示すために造った記念施設だった。1974年に工事が始まり、1981年8月23日に開館している。

むしろ本当に興味深いのは、別のところにある。

なぜ、この巨大な建物はわざわざ標高1400メートルを超える山頂に建てられたのか。そして、体制が消え、建物が廃墟になったあとも、なぜ取り壊されず、いま再び保存されようとしているのか。

その答えをたどると、ブズルジャ記念館は単なる「共産主義時代の奇妙な廃墟」ではなく、ブルガリアの近現代史そのものを背負った建築だったことが見えてくる。

UFOのように見えるが、宇宙船を意識した建物ではない

ブズルジャ記念館で最も目を引くのは、直径約60メートルの円盤状の本体である。

その隣には高さ約70メートルの塔が立ち、塔の上部には両面に高さ約12メートルの赤い星が設けられた。山の稜線に突き出す姿は、今日ではしばしば「UFO」「空飛ぶ円盤」と呼ばれている。

だが、この形は宇宙船を表現したものではない。

保存資料によれば、円形の建物は歴史的出来事を記憶する花輪、塔は旗を象徴するものとして構想された。現在の「UFO建築」というイメージは、未来的な形と廃墟化した外観から後世に生まれたものだ。

設計の中心人物は、ブルガリアの建築家ゲオルギ・ストイロフ(Georgi Stoilov)だった。

1959年に記念施設の設計競技が行われ、ストイロフの案が選ばれた。その後すぐ建てられたわけではなく、本格的な工事が始まったのは1974年。完成までには約7年半を要した。

構造も異様なほど大胆だった。

2018年の技術調査では、巨大な円盤部は最大約20メートル張り出しながら、主要部分をわずか3点で支持する構成とされている。円盤状屋根だけでも重量は約640トンに達する。

奇妙な外観だけではない。ブズルジャ記念館は、構造そのものが巨大な実験のような建築だった。

なぜ、こんな山の上に建てたのか

記念館が建つのは、現在のハジ・ディミタル峰(Hadzhi Dimitar Peak)である。歴史的にはブズルジャ峰と呼ばれ、現在もこの旧名の方が広く知られている。

場所は中央バルカン山脈(Central Balkan Mountains)の高所で、シプカ峠の東側にあたる。

普通に考えれば、巨大な建築物を造るには不便な場所だ。資材を運ぶのも難しく、冬は雪と強風にさらされる。それでもここが選ばれたのは、山自体に政治的な意味が積み重なっていたからだった。

まず1868年、この周辺ではブルガリア独立運動に関わるハジ・ディミタル(Hadzhi Dimitar)らの部隊と、オスマン帝国側勢力との戦闘が起きた。

さらに1891年8月2日、ディミタル・ブラゴエフ(Dimitar Blagoev)ら社会主義者がブズルジャ周辺に集まり、ブルガリア社会主義運動の組織化につながる会合を開いた。後のブルガリア共産党は、この出来事を自らの歴史的出発点の一つとして重視した。

第二次世界大戦中の1944年にも、周辺ではパルチザンと政府側勢力との戦闘があったとされる。

つまり、ここは何もない山頂に突然記念館が現れたわけではない。

独立運動、社会主義運動、パルチザン闘争という複数の政治的記憶が積み上がった場所に、最後の巨大な層として記念館が置かれたのである。

建物の大きさには、国家の威信を示す意味があった。しかし、その場所自体にも「ここでなければならない」理由があった。

山頂を9メートル削って、巨大建築を載せた

建設は山に建物を置くというより、山頂そのものを造り変える工事だった。

ブズルジャ・プロジェクト財団(Buzludzha Project Foundation)によれば、工事では約1万5000立方メートルの岩石が取り除かれ、山頂は約9メートル低くされたという。

このため標高には資料によって違いがある。歴史的な山頂高として約1441メートル、建設後の記念館位置として約1432メートルという数字が使われている。

建物のために、山の高さそのものが変わったのである。

ブズルジャ・プロジェクト財団によれば、建設には6000人を超える労働者、技術者、建築家、芸術家らが関わった。また同財団が示す数値では、使用されたコンクリートは約7万トン、鉄鋼・補強鋼材は約3000トン、ガラスは約40トンに達した。これらの材料量は保存団体がまとめた建設史に基づく値として扱う必要がある。

総工費については注意が必要だ。

記念館本体を約1420万レヴァとする資料がある一方、周辺施設などを含むとみられる事業全体について約2500万レヴァとする報道もある。何を工事費に含めるかで数字が異なるため、一方だけを「正しい総工費」と断定することはできない。

それでも確かなのは、当時のブルガリアにとって非常に大規模な国家的事業だったということである。

本当の核心は、円盤の内側にあった

ブズルジャ記念館内部の円形ホールに残る天井と壁面のモザイク
2014年に撮影されたブズルジャ記念館内部。円形ホールの天井と壁面には、社会主義国家の歴史や理念を表現した大規模なモザイクが残る。現在、一般観光客の内部立入は禁止されている。
写真:20140622 Buzludzha 119.jpg/作者:Mark Ahsmann/ライセンス:CC BY-SA 4.0

現在のブズルジャ記念館は、外観の写真だけで語られることが多い。

しかし、現役時代の建物で本当に重要だったのは内部だった。

円盤内部には、社会主義国家の歴史と理想を描く巨大なモザイクが広がっていた。制作には60人を超えるブルガリア人芸術家が参加したとされる。

保存団体はモザイクの総面積を約937平方メートルとしている。一方、2018年の専門家報告では、物語的なモザイク装飾全体について「1000平方メートルを超える」と表現されており、集計範囲によって数値に違いがある。

内側のリング状壁面には、42色の素材が使われたとされる。約35トンのエナメル材が用いられ、社会主義運動の人物や歴史、労働者、国家が掲げる未来像などが描かれた。

外側のモザイクには、ブルガリア各地の川から集めた自然石も使われた。

つまりここは、巨大なコンクリート彫刻ではなく、建物全体が政治的な物語を伝える装置だった。

訪問者は単に奇抜な建築を見るのではない。山頂に到着し、巨大な空間に入り、壁一面のモザイクに囲まれ、国家が語る歴史の中を歩くことになる。

建築、地形、美術、政治宣伝が一体化していたのである。

わずか8年で、国家の記念館から廃墟へ

ブズルジャ記念館が現役だった期間は、意外なほど短い。

1981年の開館から、ブルガリアの社会主義体制が大きく転換した1989年まで、およそ8年しかない。

その間、保存団体によれば200万人以上が訪れたという。現在の静かな廃墟からは想像しにくいが、かつては多数の団体客が訪れる政治的記念施設だった。

しかし1989年以降、状況は急変する。

体制が変わると、共産党の歴史を称えるために造られた巨大施設は役割を失った。維持管理は止まり、屋根の銅板、窓、金属部材、照明や音響設備などが失われていった。

そして、山頂という立地が今度は建物を破壊する側に回った。

窓や屋根材を失った内部に雨や雪が入り、強風が吹き抜ける。凍結と融解を繰り返す厳しい環境の中で、モザイクは剥落し、鉄骨や内装も劣化した。

ブズルジャ記念館の廃墟化は、「共産主義が終わったから放棄された」という政治史だけでは説明できない。

政治的に不要になった建築が、維持の難しい山岳環境に置き去りにされた。その二つが重なった結果だった。

それでも、なぜ取り壊さないのか

ここから、ブズルジャ記念館の物語は少し複雑になる。

この建物は、民主化後のブルガリアにとって扱いにくい存在だった。

かつての一党支配体制が自らを正当化するために造った記念館であり、その内部には共産主義の象徴や政治的図像が大量に残る。保存すれば旧体制を称賛することになるのではないか――そう考える人がいても不思議ではない。

一方で、建物を完全に消してしまえば、20世紀ブルガリアの歴史を物理的に伝える巨大な証拠も失われる。

そこで近年、別の考え方が強まってきた。

礼賛するためではなく、理解するために残す。

2018年、ブズルジャ記念館はヨーロッパ・ノストラ(Europa Nostra)と欧州投資銀行研究所による「ヨーロッパで最も危機に瀕する文化遺産7件」に選ばれ、国際的な保存活動が本格化した。

2019年にはゲティ財団(Getty Foundation)の20世紀建築保存プログラムから支援を受け、保存管理計画の作成が進められた。2020年以降にはモザイクの緊急安定化も行われ、2022年までに残存するモザイクへの保護措置が進められた。

そして2021年、ブズルジャ記念館はブルガリアで国家的重要性を持つ不動産文化財として登録された。

かつて「不要になった政治建築」として放置された建物が、今度は歴史そのものを残す文化遺産として位置づけ直されたのである。

「元通り」に戻すことが保存ではない

興味深いのは、現在の保存活動が1981年の姿への完全復元だけを目標にしていないことだ。

廃墟になった時間も、この建物の歴史の一部だからである。

現在の保存方針では、残っているモザイクや建築構造を守り、安全性を高めたうえで、歴史、教育、芸術、対話のための場として再利用する構想が示されている。

旧体制の象徴を消して無害な観光施設に変えるのでもなく、かつての政治宣伝をそのまま復活させるのでもない。

「なぜこの建物が造られたのか」
「なぜ1989年以降に放棄されたのか」
「社会は過去の体制をどう記憶するべきなのか」

そうした問いそのものを扱う場所に変えようとしている。

2025年には、新しい恒久屋根と窓を設ける安定化事業が承認され、2026年にも資金確保と事業準備が進められている。ただし、2026年10月時点で大規模保存事業が完成したわけではない。

また、内部は一般観光客が自由に入れる状態ではなく、保存団体は立ち入りを厳格に禁止している。

廃墟写真で有名になった場所だからといって、現在も「自己責任で中に入れる廃墟」ではない。

ブズルジャ記念館の本当の謎

ブズルジャ記念館には、正体不明の古代遺跡のような謎はない。

誰が設計したのかも、何のために建てたのかも、いつ造られたのかも分かっている。

それでも、この建物が不思議に見えるのは、建築が生まれた時代と、現在の価値観の間に大きな断絶があるからなのかもしれない。

1981年には、国家の理念を未来へ示す記念館だった。

1989年以降は、役割を失った巨大な遺物になった。

やがて世界中から人を引きつける廃墟となり、今では「消すべき過去なのか、残すべき歴史なのか」を考える文化遺産になりつつある。

しかもその過程で、建物は別の姿に造り替えられたわけではない。

同じ円盤、同じ塔、同じ赤い星が、時代によってまったく違う意味を持つようになった。

ブズルジャ記念館で最も奇妙なのは、その形ではない。

一つの建物が、国家の誇りから廃墟へ、廃墟から歴史資料へと、わずか数十年で意味を変えてしまったことなのだ。


参考資料・出典

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