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ムスコ地下海軍基地|岩山に海軍基地を造ったスウェーデンの冷戦遺産

岩山に眠る地下海軍基地 謎の人工物・巨大構造物

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岩山の中に海軍基地を造った国――スウェーデン・ムスコ地下海軍基地の巨大な冷戦遺産

スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)から南へ。群島の一角に浮かぶムスコ島(Muskö)には、外から見ただけでは全貌をつかめない巨大な軍事施設がある。

それが、ムスコ地下海軍基地(Musköbasen)だ。

「地下基地」と聞くと、指揮所や防空壕のような空間を想像するかもしれない。だがムスコ基地は、それよりはるかに大きい。岩盤の内部には艦艇を収容できるドックが造られ、工場、倉庫、事務施設、病院、厨房、水処理設備まで設けられた。冷戦期には、地下で約5,000人が働ける規模だったとスウェーデン国防軍は説明している。

つまりこれは、艦艇を一時的に隠す洞窟ではない。

海軍基地そのものを、岩山の中へ移そうとした施設なのである。

しかも、この巨大な冷戦施設は過去の遺物では終わらなかった。一度は縮小されたにもかかわらず、2019年にはスウェーデン海軍の中枢機能が再びムスコへ戻っている。

なぜ、冷戦が終わってから何十年もたった時代に、岩山の地下基地が再び必要になったのだろうか。

※現役の軍事施設であるため、この地図は基地の一般的な位置を示すものです。見学入口や立入可能地点を示すものではありません。

海軍基地を岩盤の中へ移すという発想

ストックホルムから海軍施設を移そうという話自体は、冷戦以前からあった。

19世紀半ば以降、都市の拡大と軍事施設の配置をめぐって、海軍の機能を首都中心部から移転する案が何度も検討されていた。

そこへ第二次世界大戦後、状況を一変させる要素が加わった。

核兵器の登場と、東西冷戦である。

港湾施設や造船所は、軍事攻撃を受ければ機能を失いやすい。艦艇だけを隠しても、修理設備や倉庫、指揮機能が破壊されれば海軍は動けなくなる。

そこで発想されたのが、艦艇だけでなく、基地機能そのものを岩盤で守るという構想だった。

1948年の海軍基地調査では、海軍基地と造船所を岩盤内部に収容する案が示され、ムスコ島の岩山が適地と判断された。

発破工事が始まったのは1950年4月。スウェーデン議会が移転計画について原則決定を行ったのは1953年12月1日である。

つまり、ムスコでは1953年の国会による原則決定に先立って、一部の発破工事が始まっていた。冷戦初期の緊張のなかで、構想と建設が段階的に前へ進んでいった。

岩山の内部に「港」と「工場」を造る

ムスコ基地の特徴は、そのスケールにある。

確認できるだけでも、岩盤内部には3基の艦艇用ドックが設けられた。

ドックとは、単に船を停泊させる場所ではない。艦艇を収容し、必要に応じて整備や修理を行うための施設である。そこに工場、倉庫、事務室、戦時病院、厨房などを加えると、必要なのは巨大な空洞だけでは済まない。

人員が長期間活動するためのインフラまで、地下に用意しなければならない。

スウェーデン国防軍の資料によれば、冷戦期には地下施設で約5,000人が働ける規模となり、厨房には2,000食を1日3回供給できる能力があった。

また、スウェーデン国防施設庁は、基地建設で掘削された岩石の量を約150万立方メートルとしている。

ムスコ基地は「船を隠せる洞窟」というより、艦艇を受け入れ、修理し、人員を働かせ、軍事組織を維持する地下の産業施設と考えた方が実態に近い。

ムスコ島への交通を確保するため、約3キロメートルの道路トンネルも建設され、1964年3月に使用が始まった。

ムスコ島へ通じるムスコ道路トンネルの北側坑口
ムスコ島へ通じる道路トンネルの北側坑口。基地内部の艦艇用トンネルとは別の交通インフラである。
写真:Muskötunneln 2012 norr.jpg/作者:Holger Ellgaard/ライセンス:CC BY-SA 3.0

ただし、この道路トンネルは基地内部の軍用トンネルそのものではない。島へ道路で到達するための交通インフラであり、両者は区別する必要がある。

最初の艦艇が入ったのは正式開設の14年前

巨大施設は一度に完成したわけではなかった。

1955年9月末には、掃海艇M14が地下のドック3へ入り、ムスコで最初に入渠した艦艇となった。

その時点で、発破開始から約5年しかたっていない。

一方、1967年10月には駆逐艦ウップランド(Uppland)とハッランド(Halland)が別のドックへ入った。1969年には東海岸の海軍基地機能がムスコへ移り、同年9月30日に正式な開設式典が行われた。

発破開始から数えると約19年。

ムスコ基地は、20年近い時間をかけて少しずつ地下の機能を増やしていった巨大プロジェクトだった。

「核に絶対耐える基地」だったのか

ムスコ基地については、「核攻撃にも耐えられる地下要塞」といった紹介を見かけることがある。

確かに、計画の背景に核兵器の脅威があったことは間違いない。

しかし、ここは表現に注意が必要だ。

公開されているスウェーデン国防軍資料が明確に示しているのは、施設が冷戦期の攻撃を意識した防護施設であり、戦時には少なくとも通常兵器に対して十分な防護を与えると位置づけられていたという点である。

「どんな核攻撃にも耐える」「核爆発でも安全」といった意味まで、公表資料から断定することはできない。

ムスコ基地のすごさは、そのような誇張を加えなくても十分に伝わる。

海軍基地と造船・整備機能を、片麻岩質の岩盤内部へ押し込んだという事実そのものが、冷戦期のスウェーデンが抱いていた危機感を示しているからだ。

基地のすぐ近くで起きた「見えない潜水艦」の騒動

ムスコ基地の歴史で外せない出来事が、1982年のハーシュフィヨルド(Hårsfjärden)潜水艦事件である。

同年10月、ムスコ施設に近い海域で外国潜水艦の侵入が疑われ、スウェーデン軍による大規模な捜索が行われた。

冷戦下のスウェーデンにとって、これは極めて深刻な事件だった。

1983年の政府委員会は、ソ連潜水艦による領海侵犯だったと判断した。一方で、その後も事件の詳細や侵入主体をめぐる議論は続き、2001年の政府調査でも、それまでの公式説明をめぐって複数の疑問や別説が存在した経緯が整理されている。

したがって、「ソ連潜水艦がムスコを襲撃しようとした」といった単純な物語にしてしまうのは正確ではない。

確かなのは、ムスコという重要基地のすぐ近くで、正体の確定しない潜水艦をめぐる大規模な対潜捜索が起きたということだ。

岩山の内部に基地を隠しても、その周囲の海まで完全に見通せるわけではない。

この事件は、地下基地の強固さとは別の種類の脆弱さを印象づける出来事だった。

冷戦が終わると、巨大地下基地の役割は縮小した

ソ連が崩壊し、冷戦が終わると、ヨーロッパの安全保障環境は大きく変わった。

スウェーデンでも国防体制の縮小が進み、ムスコの役割は以前ほど大きくなくなっていく。

2004年の国防決定を受けて東海岸海軍基地は廃止され、ムスコの軍事利用は縮小した。スウェーデン国防軍の資料では、造船所は主に民間向け活動へ重点を移すことになったと説明されている。

冷戦のために岩山を掘り抜いて造られた巨大施設は、役目を終えたようにも見えた。

だが、その評価は長く続かなかった。

2019年、海軍の中枢がムスコへ戻った

2014年以降、スウェーデンを取り巻く安全保障環境の悪化を背景に、国土防衛能力を再構築する動きが強まった。

2018年には、スウェーデン政府が海軍参謀部(Marinstaben)をハーニンゲ/ムスコに置く方針を示した。

そして2019年、海軍参謀部は実際にムスコの防護施設へ移転した。

2023年のムスコ海軍基地でスウェーデン海軍のコルベットを視察する関係者
2023年のムスコ海軍基地。冷戦期に建設された施設は、21世紀にも海軍拠点として使われている。
写真:U.S. Secretary of Defense visit to Musköbasen – 230419-D-TT977-0250/撮影:Chad J. McNeeley, U.S. Department of Defense/ライセンス:CC BY 2.0

ここに、ムスコ基地の歴史で最も興味深い逆転がある。

冷戦が終わったことで古くなったはずの地下基地が、冷戦後の安全保障悪化によって再び価値を持ったのである。

2026年現在も、ムスコは現役の軍事拠点だ。海軍参謀部の主要拠点であるだけでなく、サーブ・コックムス(Saab Kockums)のムスコ拠点では艦艇や潜水艦などの維持整備が行われている。

過去を保存する博物館ではない。

半世紀以上前に造られた防護思想が、形を変えながら現在も使われ続けている。

冷戦の「空爆」から、現代の「ドローン」へ

ムスコ基地の現代性を最もよく示すのが、基地防護をめぐる新しい動きである。

2026年、スウェーデン国防軍とスウェーデン国防施設庁は、ムスコ基地周辺の防護を強化するための土地取得手続きを公表した。

そこで挙げられた脅威の一つが、無人航空機や無人艇である。

1950年代、ムスコ基地が造られた背景には、爆撃や核兵器への恐怖があった。

ところが70年以上後、その基地を守るうえでは、無人航空機や無人艇といった新しい脅威への対応も課題になっている。

岩盤による防護の価値が残る一方で、脅威の形は変わっている。

これこそが、ムスコ基地が単なる冷戦遺産では終わらない理由かもしれない。

巨大軍事施設が残したもう一つのもの

ムスコ基地には、壮大な軍事建築とは別の歴史もある。

2000~2001年に行われた調査では、ドック前方の底質からPCB、重金属、有機スズ化合物などの汚染物質が検出された。

スウェーデン国防研究機関の2002年報告では、一部の底質について高い汚染が確認され、当時の評価で最も高いリスク区分に分類された。

長年の艦艇整備や造船活動は、地下基地に機械や設備だけでなく、環境負荷も残したのである。

ただし、この調査は20年以上前の状態を示したものだ。2026年現在も同じ状況が続いていると断定することはできない。

それでも、この事実はムスコ基地を見るうえで重要だ。

巨大軍事施設の歴史は、秘密性や兵器だけで語れるものではない。そこで長く行われた産業活動の痕跡まで含めて、初めて施設の全体像が見えてくる。

なぜムスコ基地は今も異様なのか

地下基地そのものは世界各地に存在する。

それでもムスコ基地が特別に見えるのは、岩山の中へ隠した対象が「司令部」だけではなかったからだ。

艦艇が入り、修理され、人が働き、食事を取り、物資を保管する。

海軍基地という巨大な機能の集合体を、そのまま岩盤の内部へ持ち込もうとした。

しかも、その思想は冷戦の終結とともに完全には消えなかった。

いったん縮小された施設へ、2019年に海軍の中枢機能が戻り、2020年代にはドローン時代の防護拠点として再び重要性が増している。

ムスコ基地の不思議さは、地下にあることだけではない。

「過去の戦争のために造られた巨大構造物が、別の時代の脅威によって再び現役になった」ことにある。

岩山の内部に残された冷戦は、まだ終わっていない。


参考資料・出典

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