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マンセル要塞群とは?海上に築かれた巨大要塞と海賊ラジオの歴史

荒海に浮かぶマンセル要塞群 謎の人工物・巨大構造物

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海の上に立つ巨大要塞――マンセル要塞群はなぜ造られたのか

イギリス東部の海には、細い脚の上に巨大な箱を載せたような塔が、何本も離れて立っている場所がある。古代遺跡でも、用途不明の実験施設でもない。マンセル要塞群(Maunsell Forts)は、第二次世界大戦中にイギリスが沖合へ築いた防空・海上防衛施設である。

だが、目的が分かっているからといって、この構造物の奇妙さが薄れるわけではない。むしろ調べていくと、なぜこんなものを海の上に建てたのか、どうやって巨大な塔を沖合へ運んだのか、なぜ戦後には海賊ラジオ局になり、ついには「国」を名乗る場所まで現れたのかという、別の疑問が次々に出てくる。

マンセル要塞群は、戦争のために生まれ、その役目を終えたあとも、まったく別の歴史を背負い続けた建造物なのである。

テムズ河口の海上に並ぶレッド・サンズ・マンセル要塞群の7本の塔
海上に7本の塔を分散配置したレッド・サンズ。陸軍型マンセル要塞の全体構成が分かる。
写真:Red Sands Maunsell Fort – General view of all seven towers/作者:Rob Farrow/ライセンス:CC BY-SA 2.0

なぜ陸ではなく、海の上に要塞を置いたのか

第二次世界大戦中、テムズ河口(Thames Estuary)はロンドン(London)へつながる重要な海上交通路だった。ここを通る船舶と港湾を守るには、敵機が沿岸へ近づく前に発見し、空襲や機雷敷設を沖合で妨害する必要があった。

そこで考えられたのが、海そのものを防衛線にしてしまう方法だった。

マンセル要塞群には、対空砲だけでなく、レーダー、探照灯、射撃管制設備、通信設備、そして兵員の居住区まで組み込まれていた。単なる砲台というより、沖合に置かれた小さな軍事基地に近い。

その設計に大きく関わったのが、土木技師ガイ・アンソン・マンセル(Guy Anson Maunsell)である。マンセルの名が、そのまま要塞群の呼称として残った。

ただし、「マンセル要塞」という同じ形の建物が並んでいたわけではない。実際には、構造の異なる二つの系統が存在した。

双塔の海軍型と、7本の塔からなる陸軍型

最初の系統が海軍型(Naval forts)である。

これは巨大な浮体式の鉄筋コンクリート基礎から2本の太いコンクリート塔を立ち上げ、その上に鋼製の砲台プラットフォームを載せた構造だった。塔の内部には複数階の居住・収納空間が設けられ、上部には対空砲、レーダー、探照灯などが置かれた。

テムズ河口からハリッジ(Harwich)方面の海域には、この海軍型が4基設置された。

2本のコンクリート塔の上に鋼製プラットフォームを載せたノック・ジョン海軍型マンセル要塞
ノック・ジョンの海軍型要塞。2本の太いコンクリート塔と、その上の大型プラットフォームが陸軍型との大きな違いである。
写真:Knock John Naval Maunsell Fort/作者:Hywel Williams/ライセンス:CC BY-SA 2.0

もう一つが陸軍型(Army forts)である。現在、マンセル要塞群の写真として特によく知られているのはこちらだ。

陸軍型では、1本の巨大建築にすべてを詰め込まず、役割の異なる7本の塔を海上に分散させ、それぞれを鋼製の通路で結んだ。典型的な1群は、QF 3.7インチ重対空砲(QF 3.7-inch anti-aircraft gun)を備える塔4本、ボフォース40mm機関砲(Bofors 40 mm gun)を備える塔1本、中央の管制・居住塔1本、探照灯塔1本という構成だった。

つまり遠くから見ると、海の上に小さな集落が浮かんでいるような配置になる。

テムズ河口にはノア(Nore)、レッド・サンズ(Red Sands)、シヴァリング・サンズ(Shivering Sands)の3群が造られた。さらにリヴァプール湾(Liverpool Bay)・マージー河口(Mersey Estuary)側にも3群があり、陸軍型は合計6群存在した。

マンセル要塞群全体を施設単位で数えるなら、海軍型4基と陸軍型6群で計10施設となる。陸軍型は1群につき7塔だったため、個々の塔まで数えればそれだけで42塔になる。「マンセル要塞はいくつあったのか」という問いの答えが資料によって違って見えるのは、この数え方の違いが大きい。

巨大な塔を、完成に近い状態で海へ運んだ

マンセル要塞群で驚くべきなのは、完成後の姿だけではない。建設方法そのものが大胆だった。

海軍型では、巨大なコンクリート製の浮体基礎と双塔をドック側で建造し、それを浮かべて目的海域まで曳航した。そして現場で基礎を海底へ沈め、固定した。つまり「海の中で最初から建築した」というより、巨大構造物を浮かぶ状態で造り、海まで運んだのである。

陸軍型も発想は似ている。テムズ側の塔は陸上で組み立てられ、バージで沖へ運ばれた。現場ではウインチを使って海底へ降ろして据え付けた。保存団体の記録によれば、1本の塔の設置に最大8時間かかったという。

陸軍型の上部構造はおよそ11メートル四方。そこから4本の脚が海底へ伸びていた。これを7本並べ、さらに空中通路で接続したのだから、戦時中の突貫工事としても相当に特殊な計画だったことが分かる。

テムズ側の陸軍型3群は1943年中に設置された。一方、海軍型の建設・設置は1941~42年ごろに進められた。マンセル要塞群を一括して「1942年完成」とする説明も見られるが、実際には型によって建設・設置時期が異なる。

ここでは兵士が海の上で暮らしていた

要塞は、砲を置けば完成というものではない。敵機を監視し、レーダーを操作し、射撃を管制し、機器を整備する人間が長期間そこで生活する必要があった。

資料によって人数には幅があり、要塞の型や時期によっても違うため、一律の定員を決めることは難しい。しかし少なくとも、マンセル要塞群が数人だけで運用する監視小屋ではなかったことは確かである。複数の資料では、要塞によって100人を大きく超える規模の人員が配置されたことが示されている。

海上の狭い施設で、発電、通信、食事、睡眠、警戒、砲撃をすべて維持する。見た目の異様さとは反対に、その内部には非常に現実的な生活と軍事運用の仕組みが詰め込まれていた。

戦果については、テムズ河口の要塞群が敵機22機とV1飛行爆弾約30発を撃墜したとする資料が複数ある。ただし、今回確認できた公開資料では、この数字を直接裏付ける一次戦闘記録までは確認できなかった。そのため、確定した公式集計というより「戦後資料で伝えられている戦果」として見るのが妥当である。

戦争が終わると、要塞は海に取り残された

1945年に戦争が終わると、マンセル要塞群の存在意義は急速に薄れた。

問題は、陸上の基地と違って簡単には処分できないことだった。巨大な塔は沖合に固定され、維持しなければ海水と風によって腐食していく。しかも航路に近い構造物は、船にとって障害にもなる。

ノアは戦後、船舶との衝突を経験したのち、航行上の危険となったため1959~60年に撤去された。海軍型のタン・サンズ(Tongue Sands)は長く残ったものの、1996年の嵐で崩壊した。シヴァリング・サンズでは1963年、船舶衝突によって7本のうち1塔が失われたとされる。

シヴァリング・サンズの海上塔群と、船舶衝突で失われた塔の残骸
シヴァリング・サンズ。塔の間には、1963年の船舶衝突で失われた塔の残部が見える。
写真:Shivering Sands Maunsell Fort/作者:Hywel Williams/ライセンス:CC BY-SA 2.0

戦争を生き延びた巨大要塞を、戦後になって海と船が少しずつ壊していったのである。

しかし、放棄されたことで歴史が終わったわけではなかった。

軍事基地が「海賊ラジオ局」になった

1960年代のイギリスでは、放送免許制度の外側から音楽を流す海賊ラジオ局が人気を集めた。そこで目を付けられたのが、沖合に残されたマンセル要塞だった。

レッド・サンズやシヴァリング・サンズには放送設備が持ち込まれ、複数の海賊ラジオ局が塔から電波を流した。かつて敵航空機を警戒するためのレーダーや対空砲が置かれていた場所が、約20年後にはポピュラー音楽を送る放送拠点になったのである。

これは単なる用途転換ではない。戦時中には国家が海を防衛するために建てた施設が、戦後には国家の放送規制の外側から電波を送る場所として利用されたことになる。

マンセル要塞群の歴史には、こうした皮肉な反転が何度も現れる。

そして一つの要塞は「国」を名乗った

さらに奇妙な戦後史をたどったのが、海軍型のラフ・サンズ(Rough Sands)である。

この施設は1960年代に海賊放送関係者に利用され、その後ロイ・ベイツ(Roy Bates)らが占拠した。1967年以降、ベイツ側はここをシーランド公国(Principality of Sealand)と称し、独立国家であると主張するようになった。

シーランドをめぐっては、「イギリスの裁判所が独立国家として認めた」という説明が広まることがある。しかし、これは正確ではない。

1968年の刑事事件で英国裁判所が問題となった行為への管轄権を否定したのは、当時ラフ・サンズが英国の3海里領海外にあり、その行為が英国法の通常の領域的な適用範囲の外で起きたと判断されたためである。それはシーランドという国家を承認したこととは違う。

その後、イギリス領海法(Territorial Sea Act 1987)によって英国の領海幅は原則12海里となった。ヒストリック・イングランド(Historic England)の資料も、ラフ・サンズをめぐる独立国家の主張を紹介しているが、国家として承認されたことを示すものではない。

したがって、シーランドは「マンセル要塞の一つを拠点に独立を主張しているミクロネーション」と表現するのが適切だろう。

現在も残るのは、完成された遺跡ではない

現在、テムズ河口ではレッド・サンズやシヴァリング・サンズなど、複数のマンセル要塞が海上に残っている。

なかでもレッド・サンズは、7本の塔がまとまって残る代表的な陸軍型要塞である。保存団体による修復・保存活動も行われているが、長年の潮風と海水による腐食、コンクリートの劣化は深刻で、通常の観光地のように自由に上陸できる場所ではない。

ここで重要なのは、マンセル要塞群を「昔のまま完全保存された戦争遺跡」と考えないことだ。

撤去されたもの、爆破されたもの、嵐で崩れたもの、船に衝突されたもの、そして今も腐食が進むものがある。現在見えている姿そのものが、1940年代から80年以上続いてきた変化の途中なのである。

マンセル要塞群の本当の謎は「何のため」ではなく「なぜここまでしたのか」

マンセル要塞群は、正体不明の古代建造物ではない。設計者も、建設目的も、戦時中の役割も分かっている。

それでも、この場所が不思議に見える理由ははっきりしている。

敵機と機雷から航路を守るために、巨大な軍事基地を沖合へ丸ごと運び、海底に据え付ける。7本の塔を通路で結び、多数の兵士がそこで暮らす。そして戦争が終われば、その施設は放棄され、海賊放送に使われ、1基はついに「国家」を名乗る舞台になる。

最初から奇妙な目的で造られたのではない。戦時下では合理的だった構造物が、時代が変わるたびにまったく別の意味を持つようになった。その積み重なりこそが、現在のマンセル要塞群をこれほど異様な存在にしている。

海上に残る錆びた塔は、単なる巨大廃墟ではない。そこには、防空技術、海洋土木、戦後の放送文化、領海をめぐる法律、そして「建物は役目を失ったあと何になるのか」という、いくつもの歴史が重なっている。

参考資料・出典

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