ブライス・キャニオン――「峡谷ではないキャニオン」に石の塔が並ぶ理由
アメリカ合衆国(United States)西部には、名前から想像する地形と、実際の姿が大きく違う場所がある。
ユタ州(Utah)南部のブライス・キャニオン国立公園(Bryce Canyon National Park)も、そのひとつだ。
「キャニオン」と聞けば、多くの人は川が長い時間をかけて岩盤を削り、深く切れ込んだ峡谷を思い浮かべるだろう。ところがブライス・キャニオンでは、そのイメージが最初から外れる。ここは一本の大河が刻んだ巨大峡谷ではない。ポーンソーガント高原(Paunsaugunt Plateau)の東縁が侵食され、馬蹄形や椀形の巨大なくぼみが連なった場所なのである。

写真:Utah, Bryce Canyon National Park, Amphitheater.jpg/作者:Lucas·G/ライセンス:CC BY-SA 4.0
そして、そのくぼみの中を埋めるように立っているのが、フードゥー(hoodoo)と呼ばれる細長い岩柱だ。米国国立公園局(National Park Service)は、ブライス・キャニオンを地球上で最大のフードゥー集中地と説明している。
では、なぜ「峡谷ですらない場所」に、これほど大量の石柱が生まれたのだろうか。
答えは、石柱が「作られた」というより、周囲の岩が失われ、残ったことにある。
まず、石柱より先に「岩の材料」ができた
現在のフードゥーをつくる主要な地層は、クラロン層(Claron Formation)と呼ばれている。
この地層が形成されたのは、現在の奇岩群ができるはるか以前だ。近年の米国国立公園局の古生物学的整理では、クラロン層はおおむね暁新世から中期始新世にかけて形成された地層とされる。一般向けには、約5,000万年前前後の湖、川、氾濫原などに泥、シルト、砂、炭酸塩質の堆積物が積み重なったものとして説明されることが多い。
ただし、「巨大な古代湖の底にたまった地層」とだけ考えるのも単純すぎるらしい。
2023年に発表された査読研究では、クラロン層の一部について、河川や湖沼由来の堆積物だけでなく、風で運ばれた堆積物も大きく寄与した可能性が示された。研究対象となった赤色層では、分析上、風成成分が平均で約半分を占めると推定された区間もある。
つまり、ブライス・キャニオンの岩は、ひとつの環境だけで作られた単純な地層ではない。湖、川、氾濫原、そして風が関わる複雑な堆積史の上に、現在の景観が成立している。
高原が持ち上がり、壊れやすい舞台ができた
地層ができただけでは、フードゥーは生まれない。
次に必要だったのが、大地そのものの隆起である。
ブライス・キャニオンは、コロラド高原(Colorado Plateau)の一部に位置する。長い地殻変動の結果、この地域は高い場所へ押し上げられた。米国国立公園局の一般向け解説では、約2,000万年前ごろから大規模な隆起が進んだと説明されている。
現在の公園内は、最も低い地点でも標高約2,018メートル、最高地点では約2,778メートルに達する。
この高さが重要だった。
高標高の環境では、夜に氷点下へ下がり、日中には再び気温が上がる日が多い。米国国立公園局は、ブライス・キャニオンでは年間170日を超えて、気温が氷点の上下をまたぐ条件が生じると説明している。
岩の割れ目に入った水は、凍ると膨張する。融ければさらに奥へ入り、再び凍る。この繰り返しが亀裂を押し広げ、岩を少しずつ壊していく。
しかし、フードゥーを「凍結と融解だけでできた石柱」と説明すると、重要な部分が抜け落ちる。
雨水や雪解け水は地表を流れ、岩屑を運び去る。大気や土壌中の二酸化炭素を取り込んだ水は弱い酸性を示し、石灰質の岩をゆっくり溶かす。さらに重力も崩落を促す。
氷、水、化学的な溶解、表面流出、重力。これらが同時に働いている。
フードゥーを作る主役は、ひとつではない。
壁が、板になり、穴が開き、最後に柱だけが残る
ブライス・キャニオンのフードゥーは、地面から一本ずつ押し出されてきたわけではない。
もともとは、もっと大きな岩盤の一部だった。
岩盤には節理と呼ばれる割れ目がある。侵食はその弱い部分へ入り込み、亀裂を広げていく。やがて高原の縁は切り離され、薄い壁状の岩体になる。さらに削られると、細長い板のようなフィン(fin)と呼ばれる地形へ変わる。
フィンに穴が開き、その穴が成長すると窓のような形になる。そして窓の上部が崩れ落ちると、両側に独立した柱が残る。
それがフードゥーだ。
順番に並べれば、
岩壁 → フィン → 窓状の穴 → 独立した岩柱
となる。
この流れを見ると、ブライス・キャニオンの奇妙さが少し違って見えてくる。
ここにあるのは「自然が石の塔を積み上げた景観」ではない。巨大な岩の塊を、自然が長い時間をかけて削り落とし、たまたま残った部分が塔のように見えているのである。
なぜ一本一本の形が違うのか
フードゥーは、どれも同じ太さ、同じ高さ、同じ形ではない。
細い針のようなものもあれば、途中が膨らんだもの、上部に硬い岩を載せたようなものもある。
その違いを生むのが、岩石の性質のばらつきだ。
クラロン層には石灰岩だけでなく、泥岩、シルト岩、砂岩、ドロマイト質の岩などが含まれる。さらに、同じ種類の岩でも固まり方や炭酸カルシウムの量が違えば、侵食への強さも変わる。
硬い層が上部に残ると、その下の柔らかい岩を雨や雪から部分的に守ることがある。すると、帽子をかぶったような形の岩柱が長く残る。
逆に、保護する硬い層を失えば、岩柱は急速に崩れやすくなる。
ここでは「硬い岩が残る」「柔らかい岩が先に失われる」という差別侵食が、無数の形の違いを生み出している。

写真:Hoodoos in the Bryce Canyon National Park.jpg/作者:Michael Gäbler/ライセンス:CC BY 3.0
赤や橙の色にも理由がある
ブライス・キャニオンを特徴づけているのは形だけではない。
白、桃色、橙、赤、褐色が層のように入り混じり、同じ岩柱でも場所によって色が変わる。
この色の多くは、岩に含まれる鉱物の化学変化によって生まれる。
米国国立公園局によれば、比較的純粋な石灰岩は白く見える。一方、鉄分が酸化すると黄色、橙、赤、褐色系の色が現れ、マンガンの酸化物は淡い青や紫系の色合いを生むことがある。
つまり、赤い岩壁は単なる「赤い石」ではない。
古い堆積物の中で起きた化学反応が、現在の景観の色として残っている。
この景観は、完成していない
ブライス・キャニオンで最も興味深い点のひとつは、フードゥーを生み出した作用が、同時にフードゥーを壊し続けていることだ。
雨水が亀裂を広げ、凍結が岩を割り、表面流出が細かな物質を運び去る。そうして新しい柱が形づくられる一方、すでに立っている柱も同じ力によって細くなり、やがて倒れる。
実際、公園内では名前を与えられていた岩柱が崩落した例もある。
米国国立公園局の一般向け資料では、侵食や地形後退の目安として、およそ1~4フィート、つまり約0.3~1.2メートル/100年程度の値が示されることがある。ただし、資料によって対象地点や数値に幅があるため、ブライス・キャニオン全体が一定速度で後退していると考えるべきではない。
重要なのは、今見えている景観が固定されたものではないということだ。
フードゥーは「保存されている」のではなく、壊れ続ける自然過程ごと保護されている。

写真:Hoodoos Of Bryce Canyon (26141752758).jpg/作者:Bernard Spragg. NZ/ライセンス:CC0 1.0 Universal
南ユタの巨大な「地層の階段」の最上段
ブライス・キャニオンだけを見ると、周囲から切り離された奇岩地帯のように思える。
しかし地質学的には、もっと大きな構造の一部だ。
この地域のクラロン層は、ユタ州南部からアリゾナ州(Arizona)北部にかけて続くグランド・ステアケース(Grand Staircase)の最上部にあたるピンク・クリフ(Pink Cliffs)を構成している。
その「階段」を地質年代の古い方向へたどっていくと、ザイオン国立公園(Zion National Park)、さらにグランド・キャニオン(Grand Canyon)へとつながっていく。
つまりブライス・キャニオンは、単独で突然現れた奇岩群ではない。
アメリカ南西部の巨大な地史の断面、その最上段に近い場所で、若い地層が激しく削られているのである。
岩柱を「人びと」と見る伝承
この土地を語るとき、地質学だけで終えることもできない。
ブライス・キャニオン一帯は、南部パイユート(Southern Paiute)の伝統的な土地の一部であり、米国国立公園局は、ホピ(Hopi)、ズニ(Zuni)、ユート(Ute)、ナバホ(Navajo)などの人びとも祖先的・現代的な関係を持つ地域として紹介している。
南部パイユートの口承のひとつでは、現在の岩柱群は、かつてこの地にいたレジェンド・ピープル(Legend People)がコヨーテによって石に変えられた姿だと語られる。
これはフードゥー形成の科学的説明ではない。
一方で、単なる「面白い昔話」として扱うのも適切ではない。土地と人びとの関係を伝えてきた文化的な物語であり、現在の景観が地質学だけでなく、長い人間の記憶の中にも位置づけられていることを示している。
米国国立公園局の展示では、この地域に1万年以上にわたる人間活動の痕跡があるとされている。
だから、ブライス・キャニオンの歴史を「19世紀に開拓者が発見した場所」から始めることはできない。
「ブライス」という名前は、ひとりの開拓者から付いた
現在の名称に残る「ブライス」は、19世紀後半の開拓者エベネザー・ブライス(Ebenezer Bryce)に由来する。
彼は1870年代に家族とともにこの地域へ移り、木材を得るためにピンク色の崖へ向かう道路を造った。彼自身が観光名所として命名したのではなく、その道路の先にある円形劇場状の地形を周辺の人びとが「ブライスのキャニオン」(Bryce’s Canyon)と呼ぶようになったことが、現在の名称につながったとされる。
ブライス本人は、この複雑な地形を「牛をなくすにはひどい場所だ」と語ったとも伝えられている。
ただし、この言葉は米国国立公園局も「そう語ったとされる」という形で紹介しており、直接記録された確定的な発言として扱うべきではない。
その後、景観の保護と観光開発が進み、1923年に国定記念物となり、1928年9月15日にブライス・キャニオン国立公園として正式に成立した。
石の都市は、未来には残らない
ブライス・キャニオンの景観を不思議にしているのは、林立する岩柱そのものだけではない。
その岩柱が、すべて一時的な姿だということでもある。
現在フードゥーを作っている侵食は止まらない。壁はフィンになり、フィンには穴が開き、柱が残る。そして柱もまた崩れる。
さらに長い時間が経てば、高原の縁は西へ後退し、現在とはまったく違う谷へ変わっていく可能性がある。
だからブライス・キャニオンは、「完成した奇岩の展示場」ではない。
岩が生まれ、削られ、塔になり、倒れていく途中の一瞬を見ている場所なのである。
名前はキャニオンでも、典型的な峡谷ではない。
石柱は作られたのではなく、削り残された。
そして、その石柱を作った力が、いまも同じ石柱を壊している。
ブライス・キャニオンの奇妙さは、その三つの逆説に集約されている。
参考資料・出典
- 米国国立公園局:Bryce Canyon National Park
- 米国国立公園局:History & Culture
- 米国国立公園局:Hoodoos
- 米国国立公園局:Wall and Narrows
- 米国国立公園局:Arches
- 米国国立公園局:Protect the Hoodoos
- 米国国立公園局:Deciphering Nature’s Palette
- 米国国立公園局:An Ever-changing Landscape
- 米国国立公園局:American Indian History
- 米国国立公園局:The Legend People
- 米国国立公園局:Searching for Sustenance
- 米国国立公園局:Pioneer History
- 米国国立公園局:Park History
- 米国国立公園局:Park Statistics
- 米国地質調査所:Geology of Bryce Canyon National Park
- 米国国立公園局 2024:Bryce Canyon National Park: Paleontological resource inventory
- Zhou et al. 2023:Eolian deposition and its significance in the Claron Formation
- Zhou et al. 2023 DOI
- USGS Open-File Report 2002-172, Chapter 6





