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クヴィト島|氷に覆われた「白い島」と消えた地図の謎

氷に覆われた白い島の謎 立入困難・隔絶された場所

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白い島は、なぜ地図から消えたのか――スヴァールバル最東端・クヴィト島

北極圏のスヴァールバル諸島(Svalbard)の最東端に、クヴィト島(Kvitøya)という島がある。面積は682平方キロメートル。名前は「白い島」を意味し、その名のとおり、陸地のほとんどが氷帽に覆われている。

だが、この島の奇妙さは「白い」ことだけではない。

300年以上前に船乗りが目撃したのに、その後は長く所在がはっきりせず、地図上では実際とは違う場所にもう一つの島が描かれた。19世紀末には、その誤った地図を持った北極探検隊が海氷上をさまよい、最後にたどり着いたのがこの島だった。そして彼らの最終キャンプは、33年間も氷雪の中に眠り続けた。

クヴィト島は、氷に囲まれた島であると同時に、地図の不確かさと北極探検の危うさがそのまま残された場所でもある。

海岸の約9割が「氷の壁」

クヴィト島は、スヴァールバル北東部の大島ノールアウストランネ島(Nordaustlandet)からさらに東へ離れた北緯80度付近にある。ノルウェー極地研究所(Norwegian Polar Institute)が示す代表座標は北緯80.165665度、東経32.422657度だ。

島を特徴づけるのは、陸地の上に載る巨大な氷帽である。

2026年に公表されたスヴァールバルの海洋終端氷河研究では、クヴィト島の海へ面する氷崖は約100キロメートルに達し、島の海岸線のおよそ90%を占めるとされた。つまり、この島では砂浜や岩礁よりも、海へ直接落ち込む氷河の末端が海岸線そのものを形づくっている。

1990年の航空レーダー調査では、氷の厚さは測定範囲でおよそ100~300メートル。氷面には大きく二つのドームがあり、測定された最高点は東側373メートル、西側324メートルだった。ただし、本当の頂部は飛行測線から外れていたため、さらに10~20メートルほど高い可能性があると研究者は記している。

露出した岩盤は限られ、主に島の南西部と北東部にわずかな無氷地がある。海から近づいても、上陸できる露岩海岸そのものが少ない島なのである。

クヴィト島の露岩海岸と背後に広がる氷帽
クヴィト島の狭い露岩海岸から内陸側の氷帽を望む。島では露岩地が限られ、海岸の大部分を氷河末端が占める。
写真:Kvitoya.jpg/作者:RichardNeill/ライセンス:CC0 1.0

しかし、クヴィト島を何世紀にもわたって「遠い場所」にしてきたのは、氷の壁だけではなかった。

1707年に見つかり、その後「行方不明」になった島

1707年、オランダ人船長がスヴァールバルの東方で未知の島を目撃した。この島は後にジャイルズ・ランド(Giles Land)と呼ばれるようになる。

ところが、その後およそ170年間、島について確実な再確認がほとんど行われなかった。

原因の一つは、この海域の厳しい海氷だった。船が接近できる機会が少なく、目撃地点を確かめ直すことが難しい。観測精度にも限界があったため、「目撃された島はどこにあるのか」という問題が残った。

やがて19世紀の地図では、ジャイルズ・ランドが実際のクヴィト島より約160キロメートル北に描かれるようになった。1872年にドイツの地図製作者アウグスト・ペーターマン(August Petermann)が示した推定位置が、多くの地図へ受け継がれていったのである。

一方、1876年にはノルウェーの船長が島を再確認し、「白い島」という意味の現在の名称を与えた。

本来なら、ここで地理上の謎は解けてもよさそうに思える。

ところが当時は、1876年に確認された白い島と、約170年前に目撃された島が同じものだとは広く認識されなかった。その結果、地図の上では「実在するクヴィト島」と「さらに北にあるはずのジャイルズ・ランド」が並存するようになった。

一つの島が、地図の上では二つになっていたのである。

存在しない島を探したアンドレー探検隊

この地図上の混乱に直接巻き込まれたのが、19世紀末の北極探検だった。

1897年、スウェーデン人技師サロモン・アウグスト・アンドレー(Salomon August Andrée)は、クヌート・フレンケル(Knut Frænkel)、ニルス・ストリンドベリ(Nils Strindberg)とともに、水素気球で北極点を目指した。

船やそりが海氷に阻まれるなら、その上空を飛んで北極点へ向かおうという計画だった。

しかし飛行は長く続かなかった。7月14日、気球は北緯約83度の海氷上へ降り、3人はそりを引いて氷上を移動することになった。

そのとき彼らが持っていた地図には、実際のクヴィト島よりはるか北にジャイルズ・ランドが描かれていた。

3人はその陸地を探したが、そこに島はない。彼らが頼りにした目標そのものが、地図上の誤りだったからだ。

漂流する海氷の上では、歩いた距離がそのまま目的地への前進になるとは限らない。人間が進んでも、その足元の氷自体が海流や風で動いてしまう。アンドレー隊はほぼ3か月にわたる移動の末、1897年10月5日、ようやくクヴィト島南西部の無氷地へ到達した。

ここで3人はキャンプを築いた。

だが、その後の記録は短い。残された記録の最後の日付は10月17日。3人はその秋のうちに全員死亡した。

そして、彼らがどこで最期を迎えたのかを知る者はいなくなった。

33年後、氷の中から探検隊が現れた

アンドレー隊の失踪から33年が過ぎた1930年8月、ノルウェーの遠征隊がクヴィト島へ立ち寄った。

目的は、失踪者の大捜索ではなかった。セイウチ猟と、地質・植物などの科学調査を行うための寄港だった。

8月6日、島を歩いていた2人の猟師が偶然、人間の遺留品を発見する。そこにあったのは、1897年に消息を絶ったアンドレー隊の最終キャンプだった。

雪と氷に覆われた現場からは、遺体の一部、そり、ボート、銃器、衣類、観測器具、日記などが見つかった。さらに同年9月に別の遠征隊が訪れると、雪解けによって新たな遺留品が露出しており、記録類や写真フィルムも回収された。

驚くべきことに、33年間北極圏に残されていたフィルムの一部は現像することができた。

そこには、気球を失った後の一行の行動を伝える写真が残されていた。クヴィト島は、行方不明になった探検隊の結末だけでなく、遭難後の時間を彼ら自身が記録した一次資料まで保存していたのである。

クヴィト島に建つアンドレー、ストリンドベリ、フレンケル探検隊の記念碑
クヴィト島にあるアンドレー、ストリンドベリ、フレンケルを記念する碑。3人の最終キャンプは1930年に島で発見された。
写真:Andree Strindberg Fraenkel Memorial Kvitoya.jpg/作者:Richard Neill/パブリックドメイン

3人はなぜ死んだのか

キャンプが見つかったことで、失踪の場所と経過の多くは明らかになった。

それでも、一つの大きな謎は残った。

3人の正確な死因である。

これまでに、旋毛虫症、一酸化炭素中毒、低体温、脱水や疲労など、さまざまな仮説が唱えられてきた。しかし、現在まで決着していない。特定の病気や事故を「死因」と断定できるだけの証拠はない。

2024年には、ノルウェー文化遺産研究所(Norwegian Institute for Cultural Heritage Research、NIKU)が、文化遺産当局とスヴァールバル総督から考古学調査のための稀な許可を得て、最終キャンプのデジタル記録や遺留物探索、死因研究を目的とするプロジェクトを進めている。現在公開されているプロジェクトページでも、3人の死因は未解決として扱われている。

クヴィト島の歴史は、1930年の発見ですべて解けたわけではない。

近づきにくさは、海氷から保護規制へ

かつてクヴィト島への接近を阻んだ大きな壁は、北極圏の海氷だった。

現在は海氷の状態が過去と同じではなく、夏季に周辺海域の氷が少ない年もある。それでも、島が普通の観光地になったわけではない。

クヴィト島は北東スヴァールバル自然保護区(Nordaust-Svalbard Nature Reserve)に含まれる。ここでは巨大な氷河、海鳥、セイウチ、ホッキョクグマの生息環境、そして極地探検史の文化遺産が保護対象となっている。

2025年1月1日から、自然保護区では観光事業による上陸と、それに伴う陸上滞在が原則として禁止され、附属地図で指定された場所だけが例外となった。スヴァールバル総督(Governor of Svalbard)が現在公開している指定地図には、クヴィト島の上陸地点は掲載されていない。

したがって、現在のクヴィト島を「観光船で行けば上陸できる場所」と考えるのは適切ではない。

ただし、「島全体があらゆる人に対して完全な立入禁止区域」という説明も正しくない。観光事業者向けの上陸規則は、観光活動に参加していない個人旅行者や研究者にはそのまま適用されない。

それでも、自由に行けるわけではない。2026年1月1日施行のフィールド安全規則(Field Safety Regulations)では、旅行者や研究・教育活動などの区分と行動区域に応じ、スヴァールバル総督への申請・許可、保険、通信機器などの義務が定められている。さらに自然保護や文化遺産に関する別の許可が必要になる場合もある。

つまり、クヴィト島の隔絶性は、単純な「行ける・行けない」の二択ではない。

自然条件が厳しいうえに、現在は野生動物と文化遺産を守るため、人間側からも近づき方を制限しているのである。

「白い島」は今も形を変えている

名前だけを聞けば、クヴィト島は永遠に変わらない氷の塊のようにも思える。

実際には、その氷帽も変化している。

2021年8月9日のクヴィト島を写したSentinel-2衛星画像
2021年8月9日のクヴィト島。島のほぼ全体を氷帽が覆う様子が分かる。
画像:Kvitøya 2021-08-09 Sentinel-2 L2A Highlight Optimized Natural Color/European Space Agency/Contains modified Copernicus Sentinel data 2021

衛星高度計を使った研究では、2019~2021年の解析期間に、クヴィト島の氷河域で平均約0.77メートル/年の氷面高度低下が推定された。別の長期比較でも氷帽の薄化傾向が確認されている。

この値を「毎年必ず同じ量だけ溶けている」と読むことはできない。氷河の変化は場所や期間によって異なり、海へ崩れる氷の量も含めて複雑だからだ。

それでも、島の輪郭そのものを氷河が大きく占めるクヴィト島では、氷の変化は景観の変化に直結する。

かつては、周囲の海氷がこの島への接近と再確認を難しくした。

今は、その氷帽自体の変化が継続的に観測されている。

地図の端に残った島

クヴィト島の歴史をたどると、「隔絶された場所」という言葉の意味が少し変わって見えてくる。

1707年には一度発見されながら、その後は長く再確認できなかった。19世紀には位置を誤って地図に記され、一つの島が二つあるかのような状態になった。1897年には、その誤った地図を持った探検隊が存在しない陸地を探し、最後に本物の島へたどり着いた。33年後、氷雪の中から彼らの記録が発見された。

そして現在、クヴィト島が遠いのは、海氷や距離だけが理由ではない。

海岸の大半を占める氷崖、ホッキョクグマやセイウチの生息環境、自然劣化が進む極地探検史の文化遺産。それらを守るため、近づくこと自体に慎重さが求められている。

地図上の謎だった時代から、航空レーダーで氷の厚さを測り、衛星から氷面の変化を追える時代へ。

人間がクヴィト島について知ることは増えた。それでもこの白い島は、今なお「簡単には踏み込めない場所」であり続けている。

参考資料・出典

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