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フランツ・ヨーゼフ諸島|北極点近くの隔絶諸島と探検・戦争の歴史

氷と歴史の北極諸島 立入困難・隔絶された場所

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フランツ・ヨーゼフ諸島――「遠すぎる島々」に人類はなぜ執着したのか

北極海の高緯度に、大小およそ190の島々が散らばっている。フランツ・ヨーゼフ諸島(Franz Josef Land)だ。ロシア北西部のさらに北、北緯およそ80〜82度に位置し、陸地の約85%が氷河に覆われる。北極点までは約900〜1,000キロメートルしかない。

ここには恒久的な一般住民はいない。道路もなく、外から近づくには耐氷能力を持つ船などに頼るしかない。天候と海氷の状態次第では、そもそも予定した場所へ上陸できない。それだけ聞けば、人間社会から切り離された「空白地帯」のようにも思える。

ところが歴史をたどると、実像はまるで逆だ。探検隊が入り、各国が主権を意識し、極地観測所が建てられ、第二次世界大戦中には秘密気象観測所まで置かれた。現在も研究や国立公園管理の拠点がある。

なぜ、人を寄せつけにくいほど遠い場所に、これほど人間の歴史が積み重なったのだろうか。

海と氷の間に島々が連なるフランツ・ヨーゼフ諸島の航空景観
海と氷の中に島々が散在するフランツ・ヨーゼフ諸島。陸地の大部分は氷河に覆われている。
写真:View of Franz Josef Land from a Konvers-Avia Mil Mi-2 helicopter/作者:Christopher Michel/ライセンス:CC BY 2.0

北極点に近いからこそ、ただの「僻地」ではなかった

フランツ・ヨーゼフ諸島の陸地面積は約1万6100平方キロメートル。島数は資料によって191島と192島に分かれており、ロシア北極圏国立公園(Russian Arctic National Park)の概要ページは192島としている。細部の数え方には揺れがあるものの、広大な海域に約190の島々が散在する大規模な極地諸島であることに変わりはない。

この島々の価値を決めたのは、都市や資源の豊かさではなく、位置だった。

19世紀から20世紀初頭にかけて、北極点到達は各国の探検家にとって大きな目標だった。北極点の近くにある陸地は、越冬地、観測地、補給地点、そして次の前進への足場になりうる。フランツ・ヨーゼフ諸島は、生活には厳しすぎるが、北極へ向かう人間にとっては無視できない場所だったのである。

しかもこの諸島は、最初から人間が計画どおりにたどり着いた場所ですらなかった。

発見のきっかけは「前進」ではなく、流氷に閉じ込められた漂流だった

1872年、オーストリア=ハンガリー北極探検隊(Austro-Hungarian North Pole Expedition)は北極海へ向かった。隊を率いたのはカール・ヴァイプレヒト(Carl Weyprecht)とユリウス・パイアー(Julius Payer)。探検船アドミラル・テゲトホフ号(Admiral Tegetthoff)は北東航路を探る途中で海氷に捕らえられた。

船は自力で進めなくなった。そのまま流氷と一緒に漂い続ける。

そして1873年8月30日、乗組員たちは北方に陸地を確認した。のちにフランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)にちなみ名づけられる島々である。

つまり、この諸島の近代的な「発見」は、目的地へ順調に航海した結果ではない。船が氷に封じ込められ、海の流れに運ばれた末に生じたものだった。

翌1874年、パイアーらは橇で島々を調査し、地図作成を進めた。彼らが移動した距離は約840キロメートルに達したとされる。しかしアドミラル・テゲトホフ号は最後まで氷から解放されず、隊は船を放棄して脱出することになる。

なお、ノルウェー側には1865年、船長ニルス・フレドリク・ロンベック(Nils Fredrik Rønnbeck)らがこの付近の島影を目撃していたという後世の記録もある。そのため「誰が最初に見たか」は単純ではない。ただし、諸島を広く記録・公表し、命名へつなげた出来事としては、1873年の探検が一般に重要な節目とされている。

この発見史そのものが、フランツ・ヨーゼフ諸島の性格をよく表している。人間が島へ向かったというより、氷が人間を島へ運んだのである。

北極探検の失敗と生還が、この島々で交差した

フランツ・ヨーゼフ諸島は、その後も北極探検史の舞台になった。

とりわけ有名なのが、フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen)とヤルマル・ヨハンセン(Hjalmar Johansen)の越冬である。2人は探検船フラム号(Fram)を離れ、犬ぞりとカヤックで北極点を目指した。しかし氷の状態と距離の問題から到達を断念し、南へ向きを変えた。

1895年8月、2人はジャクソン島(Jackson Island)に到達する。ノルウェー岬(Cape Norway)で石と流木を利用した越冬小屋をつくり、極夜の冬を越した。

翌1896年、再び南下を始めた2人は、偶然にもイギリス人探検家フレデリック・ジャクソン(Frederick Jackson)の遠征隊と遭遇する。この出会いによって生還への道が開けた。

探検史を華々しい「到達記録」だけで見れば、ここで起きたことの多くは失敗や撤退に見える。だが極地では、どこまで進んだか以上に、どこで冬を越し、どう生き延びたかが決定的だった。フランツ・ヨーゼフ諸島は、北極点を目指す人びとにとって、成功の舞台というより生還のための地面だったのである。

誰も住みたがらない土地が、国家にとって重要になった

20世紀に入ると、諸島の意味は探検から国家の領有と観測へ移っていく。

1920年代初頭まで、フランツ・ヨーゼフ諸島は国際法上の無主地とみなされることがあった。1926年、ソ連は北極海の島々を自国の領域とするセクター原則を示す政令を出し、諸島もその対象とした。ノルウェーはこれに反発し、1929〜1930年には捕獲・調査遠征を送り込んだ。

同じ1929年、ソ連の探検隊はフッカー島(Hooker Island)に到着し、チハヤ湾極地観測所(Tikhaya Bay Polar Station)を設置した。ここは長く気象・極地観測の拠点となる。

フッカー島のチハヤ湾極地観測所に残る建物群
フッカー島のチハヤ湾極地観測所。1929年に設置され、ソ連時代の北極観測拠点となった。
写真:Полярная станция “Бухта Тихая”. Остров Гукера/作者:Timinilya/ライセンス:CC BY-SA 4.0

誰も大都市を建てようとはしない。それでも気象観測、航行、領有、北極圏での存在感という観点から、島々は国家にとって無価値ではなかった。

そのことをさらに鮮明に示すのが第二次世界大戦である。

第二次世界大戦中、ドイツ軍は秘密気象観測所を置いた

アレクサンドラ・ランド(Alexandra Land)では1943〜1944年、ドイツ軍の秘密気象観測所シャッツグレーバー(Schatzgräber)が稼働していた。

なぜ、これほど遠い北極の島に軍が人員を送ったのか。第二次世界大戦では気象情報そのものが軍事上の重要情報であり、ドイツ側はグリーンランドからフランツ・ヨーゼフ諸島にかけて有人・自動の気象観測網を運用していた。シャッツグレーバーも、その北極圏の観測網の一つだった。

しかし、この基地の最後もまた極地らしい。ロシア北極圏国立公園の史跡情報によると、隊員たちはトリヒナ症の流行によって撤収したとされる。現在、建物そのものは残っていないが、缶詰や装備品、陣地の痕跡などが確認されている。

極端な隔絶地であることは、敵から見つかりにくいという利点になる。一方で、病気や事故が起きれば救援も困難になる。フランツ・ヨーゼフ諸島の「遠さ」は、戦略的価値と致命的な弱点を同時にもたらしていた。

氷の島々には、黒い断崖と巨大な石の球体がある

この諸島は、白い氷だけでできているわけではない。

地質は、中生代の堆積岩に複数時期の玄武岩質火成活動が重なった複雑なものだ。侵食に強い玄武岩層が残った場所では、卓状の台地や切り立った断崖が形成されている。

フッカー島のルビニ岩(Rubini Rock)は、その代表例である。高さはほぼ200メートル。玄武岩の柱状構造が巨大な壁のように露出し、同時に数万羽規模の海鳥が繁殖する場所でもある。

フッカー島付近のルビニ岩の玄武岩質断崖と海鳥の繁殖地
フッカー島付近のルビニ岩。玄武岩質の断崖は大規模な海鳥繁殖地でもある。
写真:Скала Рубини в районе острова Гукера, на которой находится большой птичий базар/作者:Николай Гернет(Nixette)/ライセンス:CC BY-SA 4.0

さらに奇妙なのがチャンプ島(Champ Island)だ。海岸には、丸みを帯びた石の塊が点在している。小さいものは指先ほどだが、大きいものでは直径約2メートルに達する。

これらは人工物ではなく、コンクリーション(concretion)と呼ばれる地質体である。堆積物の中で鉱物成分が局所的に集まり、長い時間をかけて固結してできたものと考えられている。

チャンプ島の岩場にある大型の球状コンクリーション
チャンプ島の岩場に見られる球状コンクリーション。人工物ではなく、堆積物中で鉱物が集積・固結してできた地質体である。
写真:Сферолит на острове Чамп/作者:Dmitrijshh/ライセンス:CC BY-SA 4.0

氷河、玄武岩の断崖、巨大な球体。フランツ・ヨーゼフ諸島の風景は「白い北極」という単純なイメージでは収まらない。

約85%を覆う氷は、島の地図そのものを変えている

現在、フランツ・ヨーゼフ諸島の陸地の約85%は氷河に覆われている。多くの氷河は海まで達し、末端から氷山を分離させながら質量を失う。

ここで重要なのは、「氷河が増えているのか、減っているのか」を一つの数字だけで判断できないことだ。

2025年の研究では、1991〜2022年の気候的質量収支、つまり主に降雪と表面融解の差だけを見ると、期間平均は正だった。一方、海へ流れ出して崩落する氷まで含めた総質量収支は、別の観測研究で負になっている。表面では雪が補われても、海へ失われる量を含めれば全体として減少しうるということだ。

2018年の衛星解析では、2011〜2015年の氷河質量減少率は年間マイナス4.43±0.78ギガトンと推定された。1953年から2011〜2015年までの長期平均の約2倍の損失速度だった。

さらに2024年には、環バレンツ海域の研究で、フランツ・ヨーゼフ諸島の氷河に記録的に負の気候的質量収支が推定されている。

変化は数字だけではない。氷河の後退によって、少なくとも一つの新しい島が現れたことも報告されている。かつて氷で陸続きに見えていた部分が分離し、海が入り込んだためだ。

つまりここでは、氷河の後退が景観を変えるだけでなく、「どこまでが一つの島か」という地理そのものを書き換えている。

「無人」ではあるが、人間が消えた場所ではない

フランツ・ヨーゼフ諸島には恒久的な一般住民はいない。しかし、完全に人間のいない無人地帯というわけでもない。

現在、諸島はロシア北極圏国立公園の北部クラスターに含まれ、アレクサンドラ・ランドには国立公園の通年拠点がある。研究者、国立公園職員、軍関係者などが滞在することもある。

一方、過去の軍事施設や研究施設が残した燃料ドラムや金属くず、廃建造物は長く環境問題となった。ロシア政府は2012年以降、大規模な浄化を進めている。2026年に公表されたアレクサンドラ・ランドの研究では、過去の環境被害は大幅に除去されたと評価されているが、無氷地帯では人間活動の影響が問題になりうる。

ここには、探検時代の越冬小屋の跡、ソ連時代の観測施設、第二次世界大戦の遺物、現代の研究拠点が同じ地理の上に重なっている。

「人が住めないほど遠い場所」と「人間活動の痕跡が多い場所」は、矛盾しないのである。

現在も、思い立って自由に上陸できる場所ではない

フランツ・ヨーゼフ諸島は、現在も極めて訪れにくい。

陸路はなく、通常の訪問は船舶に依存する。国立公園が示す観光シーズンは概ね6〜9月で、とくに条件が比較的よい時期として7月中旬〜8月中旬が挙げられている。ただし、海氷、風、霧、波の状態によって上陸計画は簡単に変わる。

さらに国立公園区域への訪問は許可制である。公式案内では、個人申請の場合は出発30日前までの申請が求められ、訪問できるのは許可された地点に限られる。上陸時には環境保護監督官の同行が必要で、人数やルートにも制限がある。

したがって、フランツ・ヨーゼフ諸島は「遠いから行きにくい」だけではない。自然条件と保護制度の両方によって立ち入りが難しい場所である。

なお、国立公園の訪問制度が存在することと、特定の商業クルーズが実際に運航していることは別問題である。渡航を検討する場合は、その年の船便、国境・査証、運航会社、国立公園の最新条件を別途確認する必要がある。

遠すぎたからこそ、何度も人間を引き寄せた

フランツ・ヨーゼフ諸島の歴史には、一見すると逆説がある。

ここは寒く、氷に閉ざされ、食料も燃料も乏しく、救援も難しい。恒久的な一般居住には向かない。それでも探検家は北極点への足場を求め、国家は領有と観測のために拠点を築き、軍は気象情報を求め、科学者は現在も氷河や生態系を調べ続けている。

人間にとって便利な場所だったから重要になったのではない。

北極点に近く、他に代わる土地が少なく、そこに陸地が存在したから重要になったのだ。

そして今、その陸地の輪郭そのものが氷河の後退によって変わりつつある。19世紀の探検家が苦労して描いた地図は、単なる歴史資料になっただけではない。自然の変化によって、現代の地図もまた更新を迫られている。

フランツ・ヨーゼフ諸島は、「人間から最も遠い場所」の一つでありながら、探検、国家、戦争、科学が何度も交差してきた場所である。

その歴史をたどると、隔絶とは人間の関心が届かないことではないと分かる。むしろ、遠くて到達しにくいからこそ、その場所が持つ意味は大きくなることがある。


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