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クラコ|地滑りで廃墟になったイタリアの町、その本当の歴史

クラコ廃墟、その知られざる歴史 廃墟・放棄された場所

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イタリア・クラコ――「一夜で廃墟」ではなかった、地面に追い出された町

イタリア南部のバジリカータ州(Basilicata)、マテーラ県(Provincia di Matera)の丘に、家々と教会、塔がまとまったまま取り残された町がある。クラコ(Craco)だ。

遠くから見れば、中世の石造都市がそのまま時間を止めたようにも見える。しかし、ここで起きたことを「1963年の地滑りで一夜にして廃墟になった」と説明すると、肝心な部分を見落としてしまう。

現在、廃墟として知られているのは丘上の旧市街クラコ・ヴェッキア(Craco Vecchia)である。クラコという自治体そのものが消滅したわけではない。

旧市街を追い詰めたのは、一度の災害ではなかった。もともと動きやすい斜面の上で町が拡大し、道路や擁壁が造られ、その間にも地面は何度も動いた。人びとはある日突然消えたのではなく、長い時間をかけて別の場所へ移っていった。

この廃墟が語っているのは、建物が古びて崩れただけの歴史ではない。町を支えているはずの地面そのものが、住み続けることを難しくしていった歴史である。

地滑りで損傷したイタリア・クラコ旧市街の石造建築群
地滑りと住民移転を経て無人となったクラコ・ヴェッキア旧市街。
写真:Craco Altstadt.jpg/作者:Lutz Maertens/ライセンス:CC BY-SA 4.0

中世から続いた町は、動きやすい丘の上にあった

旧市街は標高およそ390メートルの尾根上にある。その周囲には、粘土質の地面が雨水に削られてできたカランキ(calanchi)と呼ばれる侵食地形が広がる。

この土地と人間の関わりは古い。周辺では紀元前8世紀ごろの墓が見つかっている。ただし、それは現在見える丘上集落がその時代から途切れず続いたという意味ではない。

文献上のクラコは、1060年にトリカーリコ(Tricarico)司教区の所領として現れる。中世の封建台帳ではグラクルム(Graculum)の名も確認され、12世紀以降、塔を中心とする丘上の集落が発達していった。

現在も旧市街の高所に残る四角いノルマン塔は、その中世的な都市構造を伝える代表的な建物である。

クラコ旧市街の丘上に残る四角いノルマン塔
中世の都市核を伝える、クラコ旧市街高所のノルマン塔。
写真:Torre normanna craco.jpg/作者:Ilaria Giuliodori/ライセンス:CC BY-SA 4.0

だが、この丘には大きな問題があった。長い時間で見ると、斜面そのものが安定していなかった。

問題は「古い家」より、その下の地面だった

クラコの丘は、ひとつの硬い岩塊ではない。研究では、礫岩、砂、粘土など異なる性質の地層が重なる複雑な地質が報告されている。降雨や地下水はこうした地層の状態に影響し、斜面の不安定化に関わる。

しかも、ここで起きる斜面変動は一種類ではない。岩盤の破壊や変形、回転するように動く地滑り、土砂が流れるように移動する現象など、複数のタイプが確認されている。

住民や行政も、その危険をまったく知らなかったわけではない。19世紀後半には南側で大きな地滑りが記録され、1888年には道路を支える擁壁が造られた。1931年にはその擁壁が補強され、1952年にも別の擁壁が追加された。

つまり1963年に突然、「安全だった町」が「危険な町」に変わったのではない。地面は以前から警告を出し続けていた。

町を守る工事のそばで、1959年に地面が再び動いた

1950年代、地滑り地形の上には盛土を伴うサッカー場も造られた。

1959年、強い降雨をきっかけに旧市街側の地滑りが再活動する。サッカー場は壊れ、擁壁は大きく変形し、上方の建物にも被害が及んだ。

この出来事を「サッカー場を造ったせいで地滑りが起きた」と単純化することはできない。もともとの地質と水の影響が根本にあったからだ。一方で研究は、盛土による荷重や一部の擁壁工事、井戸や給排水設備など、人間による土地利用や構造物も不安定化に関わった可能性を指摘している。

クラコの災害史で重要なのはここである。

自然に不安定な斜面の上で、人間が町を維持し、広げ、守ろうとした。その双方の歴史を切り離すことができない。

1963年は「町が消えた年」ではなかった

1963年12月、旧市街周辺の地滑りが再び大きく動いた。

この災害は決定的な転機となったが、その日に全住民が一斉に去ったわけではない。翌1964年、イタリア地質調査機関の技術者が現地を調べ、斜面全体を安定化させて従来の市街地を維持することは現実的ではないとして、町を段階的に移すよう勧告した。

1965年1月には地滑りがまた再活動し、道路を支える擁壁の一部が崩壊し、住宅にも大きな被害が出た。同年4月23日の大統領令第800号を経て、移転は旧市街に近いサンタンジェロ(Sant’Angelo)と、数キロ離れたクラコ・ペスキエーラ(Craco Peschiera)方面の二つの場所で進められることになった。

移転先をめぐっては安全性だけでなく、生活や経済への影響も問題になった。地質学的に危険だからといって、長く暮らしてきた土地を離れる判断が簡単になるわけではない。

地滑りは、その後も終わらなかった

移転が始まっても、旧市街の斜面は動き続けた。

1969年にも地滑りが記録され、対策として新たな擁壁が造られた。しかし1971年には、市街地中央部付近で大きな崩壊が起きた。1979年の洪水、さらに1980年11月23日のイルピニア地震(terremoto dell’Irpinia del 1980)も、すでに傷んでいた建物と斜面の状況を悪化させた。

こうして旧市街は、数十年にわたる移転と荒廃の末に無人化していった。地元団体と研究資料には、最後の退去命令が1991年1月だったとの記録もある。

したがって、クラコに「廃墟になった日」を一日だけ設定することはできない。

1963年は、町が一夜で消えた年ではなく、長く続いていた地滑りとの共存をあきらめ、移転を本格化させる転機になった年だった。

町の広がり方そのものが、災害史になった

クラコの歴史を研究した論文では、市街地の発達を大きく三段階に分けている。最初の核は11~14世紀にノルマン塔の周囲で形成され、その後15~18世紀に拡大し、さらに19~20世紀にも市街地が広がった。

問題は、後期の都市拡張が続いた時期には、すでに地滑りの活動を示す兆候が何度も現れていたことである。研究者は、危険を示す出来事があったにもかかわらず、南側などへの都市拡張や再建が続いた点を、防災上の重要な教訓として挙げている。

見えている廃墟は、単なる古い建物の集まりではない。

町がどの方向へ成長したか、その都市計画の履歴までが、地滑りの痕跡と重なって残っている。

廃墟になっても、クラコの共同体は消えていない

ここでもう一度、クラコ・ヴェッキアとクラコという自治体を分けて考える必要がある。

住民の多くは新しい居住地へ移り、クラコ・ペスキエーラなどで暮らしを続けた。つまり、古い家々は置き去りになったが、共同体そのものが歴史から消えたわけではない。

この点は、クラコを「人間が忽然と消えたゴーストタウン」と見るイメージを大きく変える。

人びとは消えたのではない。危険な土地から町の生活機能を移したのである。

現実の災害の跡が、映画の風景になった

無人になった旧市街には、その後、別の役割が生まれた。

中世の石造建築が残り、近代的な町並みが少ない景観は映画のロケ地として利用されてきた。『パッション』(The Passion of the Christ)や『007/慰めの報酬』(Quantum of Solace)などの作品にも、クラコの風景が登場する。

しかし、この景観は映画のために造られたセットではない。

住民が地滑りの危険から離れた結果、かつて生活していた町だけが丘の上に残った。その現実の災害史が、後になって「別の時代」に見える風景として映画に使われるようになったのである。

クラコ旧市街に残る石造建物の間を通る街路
住民移転後のクラコ・ヴェッキア旧市街内部に残る街路。
写真:Craco strada.jpg/作者:Andrea Tomassi/ライセンス:CC BY-SA 2.0

現在は、自由に歩き回る廃墟ではない

現在の旧市街は無人だが、完全に放置されているわけではない。

バジリカータ州の公式観光案内では、安全化されたルートを使った案内付き見学が行われ、建物の一部には今も崩落の危険があるため、見学者にはヘルメットが用意されると説明されている。2026年10月時点でも、地元の公式案内はクラコ・ヴェッキアのガイド見学を実施している。

つまり、インターネットで見かける「誰もいない廃墟を好きなように歩ける場所」というイメージとは異なる。

クラコは今、ただ朽ちていく町ではなく、地滑り、都市史、建築、そして住民移転の記憶を伝える場所として扱われている。

クラコが残しているのは、廃墟だけではない

クラコで最も目を引くのは、丘に残された石造りの家々だろう。

だが、本当に興味深いのは、その下にある。

なぜ何百年も続いた町が、20世紀になって維持できなくなったのか。なぜ危険の兆候がありながら、市街地は拡大したのか。なぜ擁壁を重ねても、斜面の動きを止められなかったのか。

その答えは一つではない。

不安定な地質、雨と地下水、長期的な侵食、都市の拡張、盛土や構造物、対策の限界、そして繰り返す地滑り。それらが重なり、住民は最終的に「この場所を守り続ける」以外の選択を取らざるを得なくなった。

だからクラコは、単なる美しいゴーストタウンではない。

町は建物だけでできているのではなく、その下の地面まで含めて成立している。

クラコ・ヴェッキアに残された空の家々は、その当たり前の事実を、極端な形で見せ続けている。


参考資料・出典

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