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イウリチン|5,000人の鉱山都市はなぜ廃墟になったのか【ロシア】

廃墟と化した北極鉱山都市イウリチン 廃墟・放棄された場所

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イウリチン――5,000人の鉱山都市は、なぜ北極圏から消えたのか

ロシア極東、チュコトカ自治管区(Чукотский автономный округ)には、かつて5,000人を超える人々が暮らした鉱山都市があった。

その名は、イウリチン(Иультин)。

現在は恒常的な住民を持たない廃集落として知られるが、この町は「鉱石を掘り尽くして捨てられた鉱山町」ではない。鉱床は閉鎖後も保全されており、完全な資源枯渇が閉鎖理由だったわけではなかった。それでも町を維持する経済の仕組みが崩れたため、人々は去り、行政上も集落は廃止された。

イウリチンの歴史をたどると、ひとつの鉱山町が消えていく過程の背後に、ソ連の極北開発、グラグ(ГУЛАГ)の強制労働、戦略金属の採掘、そしてソ連崩壊後の市場経済化が重なっていたことが見えてくる。

ロシア・チュコトカの旧イウリチンに残る「ИУЛЬТИН」と書かれた標識と周囲の山地
旧イウリチンに残る「ИУЛЬТИН」の標識。かつて5,000人超が暮らした鉱山都市は、現在は恒常的な住民を持たない廃集落となっている。
写真:Iultin.png/作者:lamp.im/ライセンス:CC0 1.0

すべては、錫とタングステンの鉱床から始まった

イウリチンがあるチュコトカは、ユーラシア大陸の北東端に位置する。冬の寒さが厳しく、人口密度も低い地域だが、その地下には鉱物資源が眠っている。

1937年、地質学者ウラジーミル・ミリャーエフ(Владимир Николаевич Миляев)が、この一帯で大規模な錫・タングステン鉱床を発見した。

米国地質調査所(United States Geological Survey)がまとめた資料では、イウリチン鉱床は錫とタングステンを含む大規模な鉱床として分類されている。主要な鉱物は錫石や鉄マンガン重石系鉱物で、鉱化は花崗岩の貫入と、それに伴う熱水活動に関係して形成されたと考えられている。

錫とタングステンは、当時の工業国家にとって重要な金属だった。錫は合金や電気・電子関係で広く利用され、タングステンは硬く融点が高いため、工具や特殊鋼などに欠かせない。

問題は、鉱床が見つかった場所だった。

そこは既存の都市や工業地帯から遠く離れ、鉱山を開くだけでは済まない。鉱石を運ぶ道路、海から物資を入れる港、発電設備、送電線、労働者の住宅、選鉱施設まで、一式をほとんどゼロから建設する必要があった。

鉱山だけでなく、「町を成立させる仕組み」ごと作った

1940年代、ソ連はイウリチンを単独の鉱山としてではなく、北極圏に新しい鉱工業拠点を丸ごと築く計画として開発し始めた。

1946年には、ダリストロイ(Дальстрой)の系統下にチュコトストロイ(Чукотстрой)が組織される。その任務には、イウリチン鉱山・選鉱コンビナート(Иультинский горно-обогатительный комбинат)の建設だけでなく、港町エグヴェキノト(Эгвекинот)と鉱山を結ぶ道路、港湾、飛行場、発電所、送電線、車両基地、倉庫などの整備が含まれていた。

つまり、地下資源を採るために必要な「都市の前提条件」そのものを国家が作ったのである。

とりわけ重要だったのが、エグヴェキノトからイウリチンへ延びる約200キロ規模の道路だった。

この道路と初期インフラの建設には、強制労働収容所の囚人が動員された。

チュコトカ自治管区の文化遺産に関する国家歴史文化鑑定書には、道路建設区間に収容所施設が設けられ、囚人たちが永久凍土をつるはしや鉄棒などで掘削したことが記されている。

ただし、イウリチンの町全体を「グラグ囚人だけが建てた」と説明するのは正確ではない。強制労働は道路や初期開発で重大な役割を果たしたが、その後の鉱山・選鉱コンビナートの完成と操業は、一般労働者や専門家へと引き継がれていった。

イウリチンは、強制労働による辺境開発と、その後の通常の鉱工業都市化が連続して存在した場所だった。

5,000人を超える北極圏の工業都市へ

1937年の鉱床発見後、探査と建設には長い時間がかかった。

1953年、イウリチンは都市型集落となり、1959年には鉱山・選鉱コンビナートが本格操業に入った。

人口も増えていく。

1959年のソ連国勢調査では2,513人だった人口は、1970年には4,033人、1979年には4,115人となり、1989年には5,301人に達した。

1959年の人口構成を見ると、男性1,771人に対し女性742人だった。初期の辺境鉱業都市らしく、労働力として移住した男性の比率がかなり高かったことが数字にも表れている。

イウリチンは単なる採掘キャンプではなかった。住宅があり、公共施設があり、鉱山と選鉱施設を中心に数千人の日常生活が成り立っていた。

しかも、崩壊直前まで産業規模は小さくなかった。

ロシア科学アカデミー地理研究所(Институт географии РАН)の研究によると、1990年のイウリチン鉱山・選鉱コンビナートでは、錫1,061トン、タングステン工業製品2,390トンが生産され、工業部門の平均従業員数は1,522人だった。

この数字を見る限り、イウリチンは何十年も前からゆっくり死に続けていた町ではない。

むしろ、1990年代初頭までは大規模な生産と雇用を維持していた町が、その後わずか数年で急速に立ち行かなくなったのである。

なぜ、資源枯渇だけでは説明できないのか

イウリチンの消滅を理解するうえで、最も重要なのがここだ。

町が消えた主因は、鉱石を完全に掘り尽くしたことではない。

ソ連時代、チュコトカのような極端な遠隔地で鉱業を続けるには、純粋な市場原理だけでは説明できないほど大きな輸送費と生産費がかかった。港から道路を維持し、燃料や食料を運び、寒冷地で鉱山と町を動かし続けなければならない。

それでもソ連の計画経済の下では、国家が価格制度や供給網を支えることで、イウリチンのような場所でも生産を続けることができた。

ところが1991年にソ連が崩壊し、経済制度が大きく変化すると、その前提が失われていく。

1990年を100とした場合、1994年の錫採掘量は6.5%、タングステン工業製品は1.1%にまで落ち込んだ。工業部門の従業員数も3分の1以下へ縮小した。

わずか4年で、生産基盤がほとんど崩れてしまったことになる。

1994年には鉱山・選鉱施設が停止・保全へ向かい、翌1995年12月4日、ロシア連邦政府はイウリチン集落の廃止と住民移転を正式に決定した。

政府決定には、鉱山・選鉱コンビナートを保全することに加え、集落内で別の種類の生産活動を組織できないことも明記されている。

これは、イウリチンが一企業に依存する典型的な資源都市だったことを示している。鉱業が止まれば、数千人規模の町を支える別の産業がなかった。

鉱床そのものが完全に消えたわけではなくても、そこから金属を掘り出し、数千人の生活と長大な物流網を維持する経済合理性が失われた。

町を消したのは、地下資源の消滅というより、地上に築かれていた経済システムの消滅だったのである。

「一夜にして捨てられた町」ではない

廃墟となった鉱山都市には、「ある日突然、住民全員が姿を消した」という物語がつきまといやすい。

しかしイウリチンの実際の終わり方は、もっと行政的で、段階的だった。

1995年に政府が集落廃止を決めた後、住民の移転が進められた。1997年になっても登録上は990人がイウリチンに住所を残していたという研究があるが、これは990人全員が現地で生活していたことを意味しない。住宅補助などの制度上の事情から、住所登録だけが残っていた人もいたとされる。

1998年には人口集落の登録簿から除外された。

したがって、イウリチンは「突然放棄された町」ではなく、産業停止、住民移転、行政上の廃止という段階を経て消えていった町と考える方が実態に近い。

この点も、廃墟としての印象と歴史的事実の間にある大きな違いだ。

町へ向かう道路もまた、遺跡になった

イウリチンの歴史で特徴的なのは、廃墟になった町だけを見ても全体像が分からないことである。

雪に覆われたエグヴェキノト―イウリチン道路14キロ地点に立つ北極圏の標識
エグヴェキノト―イウリチン道路14 km地点の北極圏標識。旧イウリチン市街ではなく、町へ続く道路上で撮影された写真。
写真:Полярный круг – panoramio.jpg/作者:Шабанов/ライセンス:CC BY-SA 3.0

町を成立させるために建設されたエグヴェキノト―イウリチン道路そのものが、ソ連の極北開発と強制労働の歴史を残す遺構になっている。

道路沿いには、建設時に置かれた収容所関連施設の跡が残る区間があり、その一部は文化遺産として評価の対象になっている。

つまりイウリチンでは、「目的地の廃墟」だけでなく、そこへ到達するために国家が作った道までが歴史資料になっている。

鉱床を発見し、港を整備し、道路を通し、発電所と送電線を作り、住宅を建て、鉱山を動かし、数千人を移住させる。

そして半世紀後、その巨大な仕組みが採算を失うと、今度は住民を移転させ、町そのものを行政上から消していく。

イウリチンの廃墟は、その一連の過程の最後に残った部分にすぎない。

廃墟が示すのは「失われた町」だけではない

イウリチンを単なるゴーストタウンとして見ると、「極寒の土地に建つ無人の建物群」という印象で話が終わってしまう。

しかし、この町が興味深いのは、そこに地質、国家政策、強制労働、資源開発、人口移動、そして経済制度の変化がすべて重なっているからだ。

1937年、地下の錫とタングステンが町の未来を作り始めた。

1950年代以降、その資源を取り出すために都市とインフラが築かれ、やがて5,000人以上が暮らす工業都市へ成長した。

それでも1990年代、市場経済の条件の下で採掘を続ける意味が失われると、町は急速に縮小し、政府によって廃止された。

イウリチンが残した最も大きな問いは、「なぜこんな場所に町が作られたのか」だけではない。

むしろ、国家の力で成立した町は、その国家を支えていた経済の仕組みが変わったとき、どこまで存在し続けられるのかという問いである。

イウリチンでは、その答えが町そのものの消滅という形で現れた。


参考資料・出典

  • チュコトカ自治管区・文化遺産関連 国家歴史文化鑑定書(2022)「Чукотстрой. Дистанция «24-й км» автодороги Эгвекинот-Иультин」
    PDF
  • ロシア連邦政府決定 1995年12月4日 第1188号「О мерах по стабилизации социально-экономической обстановки в Чукотском автономном округе и социальной защите населения поселка Иультин」
    GARANT掲載本文
  • United States Geological Survey, Significant Lode Deposits of Russian Far East, Alaska, and Canadian Cordillera, Open-File Report 96-513-B
    USGS PDF
  • Романова В. В. (2018), 「История открытия и освоения Иультинского оловянно-вольфрамового месторождения」
    GeologyScience.ru
  • Литвиненко Т. В. (2013), 「Постсоветская трансформация ресурсопользования и ее влияние на динамику населения в Чукотском автономном округе」
    DOI
  • Demoscope Weekly, ソ連国勢調査 1959・1970・1979・1989年
    1959年 / 1970年 / 1979年 / 1989年

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