ブリストル・ハム――「謎の音」が解けない本当の理由
夜、自宅の中で、遠くのディーゼルエンジンがいつまでもアイドリングしているような低い音がする。外へ出ても、どこから聞こえてくるのか分からない。家族には聞こえないことさえある。
ブリストル・ハム(Bristol Hum)は、1970年代からイギリス南西部のブリストル(Bristol)周辺で知られるようになった、そんな低いうなり音の総称だ。
「ハム」と呼ばれる謎の音は世界各地で報告されているが、ブリストルの事例はその中でも古く、よく知られている。ところが奇妙なのは、約半世紀にわたって語られてきたにもかかわらず、いまだに「これが正体だ」と一つの原因に決着していないことである。
しかも、専門家の資料をたどると、さらに不思議な事実が出てくる。
ある資料には「大型工場ファンが原因だった」と書かれている。別の資料には「満足のいく形では解決されなかった」とある。
いったい、どちらが正しいのだろうか。

写真:Bristol Nighttime Skyline/作者:Jfalkc/ライセンス:CC BY-SA 4.0
1970年代、イギリスで「ハム」が社会現象になった
低周波の謎の音が注目されたのは、ブリストルだけではなかった。
1970年代のイギリスでは、「どこからともなく低い音が聞こえる」という訴えが各地から現れた。1977年には新聞『サンデー・ミラー(Sunday Mirror)』が読者に呼びかけ、後の音響学資料によれば768件もの反応が寄せられた。
ただし、この768件はブリストルだけの報告数ではない。全国の新聞読者から集まった反応である。
ここは、ブリストル・ハムをめぐる話で最初に注意しておきたい点だ。後年の報道では大きな数字が一人歩きし、「ブリストルで何千人もが同じ音を聞いた」という印象を与えることがある。しかし、どの数字がブリストルだけを示すのか、一次資料まで確認できないものも少なくない。
確実に言えるのは、1970年代にイギリス各地で低い「ハム音」が社会的な関心を集め、その中でもブリストルの名が強く結び付いていったことだ。
音は「遠くの機械」のようだった
報告される音の表現には、ある程度の共通点がある。
よく使われるのは、「遠くでディーゼル車がアイドリングしているような音」「低いうなり」「脈打つような音」といった表現だ。
そして、厄介なのは音源の方向が分かりにくいことである。
低周波音は高い音に比べて波長が長い。条件によっては遠くまで届き、建物内では部屋の形や立ち位置によって特定の周波数が目立つこともある。
英国音響学会(Institute of Acoustics)が挙げる代表的な低周波騒音源には、ポンプ、大型ファン、コンプレッサー、ディーゼル機関、送電設備などがある。
つまり、「低い謎の音」という現象そのものは、決して超常的なものではない。
問題は、音が実在していても、どの設備が原因なのか突き止めにくいことなのである。
有力候補はエイヴォンマスの工業地帯だった
ブリストルの西側、セヴァーン河口(Severn Estuary)に近いエイヴォンマス(Avonmouth)には、港湾施設や大規模な工業・物流施設が集まっている。
2023年公表のブリストル市計画資料では、エイヴォンマス工業地域とブリストル港(Bristol Port)を合わせた対象区域は約640ヘクタールとされ、製造、流通、エネルギー、港湾関連の用途に指定されている。

写真:Avonmouth Docks BP Sidings/作者:Geof Sheppard/ライセンス:CC BY-SA 4.0
この環境を考えれば、大型ファンやコンプレッサーなどが低周波音を発生させる可能性は十分にある。
実際、1995年に発表されたJ・N・サージェント(J. N. Sargent)の論文には、著名なブリストル・ハムは「最終的に大型工場ファンに帰された」と記されている。
これだけを読めば、謎はすでに解決していたように見える。
ところが、話はここで終わらない。
「解決済み」のはずなのに、専門家は未解決と書いた
低周波騒音研究者のジェフ・レヴェンサル(Geoff Leventhall)は、後年の回顧論文でブリストル・ハムについて触れ、「満足のいく形では解決されなかった」と記している。
工業用ファン、あるいは似た設備が原因として提案されたことも紹介しているが、それでブリストルの「ハム」全体が片付いたとはしていない。
一方では「大型工場ファンが原因」。
もう一方では「解決していない」。
この食い違いは、単なる資料の矛盾ではない可能性がある。
むしろ、ブリストル・ハムの正体を考えるうえで、最も重要な手掛かりかもしれない。
そもそも「一つの音」ではなかったのではないか
ブリストル・ハムという名称からは、街のどこかに巨大な一つの音源があり、その音が長年にわたって住民を悩ませてきたような印象を受ける。
しかし、本当にそうだったのだろうか。
低周波騒音の苦情を詳しく調べた2008年の研究では、外部の物理的な低周波音が原因と判断された事例もあれば、外部に対応する音が確認できず、低周波性耳鳴りと判断された事例もあった。
また、1989年に行われた英国自治体の調査では、2年間に確認された453件の低周波騒音苦情のうち、88%で発生源が特定されていた。
これは逆に言えば、低周波騒音の多くには具体的な原因があるということだ。
大型ファン、ポンプ、コンプレッサー、交通、電力設備。ある場所では一つの設備が原因になり、別の場所ではまったく違う設備が似た音を出す。
そのうえ、人によって聞こえ方も違う。
もし、異なる時期、異なる住宅、異なる音源から発生した低音が、すべて「ブリストル・ハム」という一つの名前で呼ばれていたとしたらどうだろう。
一台の機械を止めて一部の苦情が消えても、別の場所では別の音が残り得る。
それなら、「工場ファンで解決した」という記録と、「満足に解決されなかった」という記録が同時に存在しても不思議ではない。
「自分だけに聞こえる」は、必ずしも錯覚ではない
ハム現象をさらにややこしくするのが、同じ場所にいるのに「聞こえる人」と「聞こえない人」がいることである。
この点は、しばしば怪談めいた話につながる。
だが、低周波音の知覚には個人差があることが知られている。
人間の聴覚は低い周波数ほど感度が下がる。しかも、聞こえるか聞こえないかの境目付近では、わずかな音圧の違いが知覚の大きな差になることがある。
だから、一人には聞こえているのに、隣にいる人にはほとんど聞こえないという状況は、音響学的にもあり得る。
一方で、低周波性耳鳴りのように、外部音源がなくても低い音を感じるケースが存在することも研究で示されている。
重要なのは、「聞こえない人がいるから音は存在しない」とも、「聞こえる人がいるから街全体を覆う未知の音源がある」とも言えないことである。
2026年の研究は「耳鳴り説」を強めたが、ブリストルを解決したわけではない
2026年に発表された査読研究では、原因不明の低いハムや脈動音を感じる28人について、低周波域の聴力と、内耳が自ら生み出す微弱な音である自発耳音響放射などが詳しく調べられた。
その結果、大半の参加者には特別に鋭い低周波聴力は認められず、低周波域の自発耳音響放射も確認されなかった。研究者たちは、外部の物理音が原因となるケースを否定しない一方、原因不明の低周波音知覚の多くでは、低周波性の主観的耳鳴りが関係している可能性を示している。
ただし、この研究はブリストル市内の音源を直接調べたものではない。対象も28人と小規模であり、ブリストル・ハム全体を「耳鳴りだった」と証明した研究ではない。
むしろ最新研究も、外部に実在する低周波音と、人間の聴覚系で生じる音知覚の両方を区別して考える必要性を強めている。
地下ガス管説も検証された
ブリストル・ハムをめぐっては、さまざまな仮説が語られてきた。
その中には地下ガス管説もある。
1997年、V・V・クリロフ(V. V. Krylov)は、地下のガス管が特定の条件で地盤振動を起こし、建物の中で低周波音として知覚される可能性を理論的に検討した。
発想としてはあり得ない話ではなかった。
しかし、イングランドで行われた実測では、苦情対象となった低周波音が確認されたケースはあったものの、ガス管を音源とする証拠となる地盤振動は確認されなかった。
少なくとも、この研究は「地下ガス網がブリストル・ハムの正体だった」という結論には至っていない。
秘密軍事通信や潜水艦通信、携帯電話基地局なども原因候補として語られてきたが、ブリストル・ハム全体を説明する信頼できる証拠は確認されていない。
「海の波が謎を解いた」という話にも落とし穴がある
さらに紛らわしいのが、地球物理学にも「地球のハム(Earth’s hum)」と呼ばれる現象があることだ。
海洋波は地球全体にごく小さな長周期振動を起こすことがあり、2015年には海洋波がこの長周期振動を励起する仕組みについて研究が発表された。
ところが、ここで扱われる振動は、ブリストル住民が「低い音」として聞くものとは周波数の桁が違う。
地球物理学でいう「ハム」は、周期が数十秒にもなる非常にゆっくりした振動である。一般的な低周波騒音とは別の現象だ。
名前が同じだからといって、「海の波がブリストル・ハムの正体だった」と結論付けることはできない。
謎なのは「音」よりも、その名前なのかもしれない
ブリストル・ハムは、しばしば「科学でも説明できない謎の音」として紹介される。
だが、研究をたどると、実像は少し違って見える。
低周波騒音そのものは珍しい未知現象ではない。工場設備や機械、交通、電力設備など、さまざまな発生源が知られている。
しかも英国の調査では、大半の苦情で発生源が見つかっていた。
それでも「ブリストル・ハム」という謎が残った理由として考えられるのが、長年にわたって異なる場所、異なる時期、異なる原因の低い音まで、一つの名前で呼ばれてきた可能性である。
大型工場ファンが原因だったケースが存在した可能性はある。
同時に、そのファンでは説明できない別の「ハム」があった可能性も残る。
そう考えると、「原因が見つかった」という記録と「未解決だった」という記録は、必ずしも矛盾しない。
現在の証拠からは、ブリストル・ハムをたった一つの未知の音源に結び付けることはできない。複数の低周波音と、人間の聴覚・知覚に関わる現象が、一つの名前の下に重なった可能性を考える方が、既存の研究にはよく合う。
この見方なら、なぜブリストル・ハムが約半世紀にわたり、一つの答えへ収束しなかったのかも説明しやすいのである。
参考資料・出典
- Institute of Acoustics, “Low Frequency Noise Annoyance”
- J. N. Sargent, “A Study of Environmental Low Frequency Noise Complaints” (1995)
- G. Leventhall, “Thirty Five Years of Low Frequency Noise”
- G. Leventhall, P. Pelmear & S. Benton, “A Review of Published Research on Low Frequency Noise and its Effects” (2003)
- N. Broner, “The effects of low frequency noise on people—A review” (1978)
- H. Møller & C. S. Pedersen, “Hearing at low and infrasonic frequencies” (2004)
- C. S. Pedersen, H. Møller & K. Persson Waye, “A Detailed Study of Low-Frequency Noise Complaints” (2008)
- B. Baumann, A. Voss, C. Jurado & M. Drexl, “On the potential sources of a low-frequency sound percept that only a few can perceive” (2026)
- V. V. Krylov, “Investigation of environmental low-frequency noise” (1997)
- F. Ardhuin, L. Gualtieri & E. Stutzmann, “How ocean waves rock the Earth: Two mechanisms explain microseisms with periods 3 to 300 s” (2015)
- Bristol City Council, Bristol Local Plan: Publication version November 2023
- The Independent, “‘Bristol hum’: Residents report return of mysterious noise” (2016)
- The Guardian, “Can you hear the Hum?” (2021)





