セントラリア――地下の火を消せず、町のほうが消えていった
アメリカ北東部、ペンシルベニア州(Pennsylvania)の山あいに、半世紀以上も地下で火が燃え続けている町がある。セントラリア(Centralia)だ。
かつては炭鉱で栄え、多くの住民が暮らす町だった。ところが1962年に始まった地下火災は、住民の生活圏そのものを少しずつ危険地帯へ変えていった。地面は割れ、場所によっては高温のガスが噴き出し、道路は沈下した。やがて政府は、火を消して町を救うよりも、住民を移転させる道を選ぶ。
なぜ、ひとつの火災を止めることができなかったのか。そして、なぜ町そのものをほぼ消すほどの事態になったのか。
セントラリアの異様さは、廃墟の景色だけでは分からない。地下に広がる炭層と旧坑道、失敗を重ねた消火作戦、そして「町を残すか、人を逃がすか」という政策判断をたどると、この場所がなぜ今の姿になったのかが見えてくる。

写真:City sign (Centralia, Pennsylvania, USA)/作者:James St. John/ライセンス:CC BY 2.0
もともとは、ありふれた炭鉱町だった
セントラリアは、ペンシルベニア州東部のコロンビア郡(Columbia County)にある小さな自治体である。19世紀前半から周辺で無煙炭の採掘が進み、1866年に自治体として法人化された。
この地域は、ペンシルベニア州東部の無煙炭地帯に含まれる。地表の下には炭層が折り重なるように走り、その炭を追って多数の坑道が掘られた。坑道は単純な一本線ではない。採掘された空洞、炭柱、崩落箇所、通気路、古い掘削跡が複雑につながっていた。
1890年の連邦国勢調査で、セントラリアの人口は2,761人だった。20世紀に入ると石炭産業の衰退とともに人口も減少したが、1962年の火災発生時にも、およそ1,100~1,200人が暮らしていたとペンシルベニア州環境保護局(Pennsylvania Department of Environmental Protection)は推計している。
つまり、後に「燃えるゴーストタウン」と呼ばれる場所は、最初から廃墟だったわけではない。火災が起きた時点では、まだ人びとの生活が続く町だった。
1962年5月、町のはずれで火が始まった
火災が最初に報告されたのは1962年5月27日である。
発火場所は町の南東側、オッド・フェローズ墓地(Independent Order of Odd Fellows Cemetery)に近い旧露天掘り跡だった。この窪地は廃棄物処分場として使われていた。
ここで何が起きたのかについては、ひとつ注意が必要だ。
最も広く受け入れられている説明は、町の廃棄物を処理するために意図的に火をつけ、その火が地下の炭質物や旧坑道へ移ったというものだ。現在の州環境保護局も、住宅ごみを燃やした火が発端になったと「報告されている」と説明している。
一方で、発火の細部は完全には確定していない。古い坑内火災がすでに存在していた可能性、自然発火、別の火源なども過去に議論されてきた。米国地質調査所(U.S. Geological Survey)も、証拠の重みはごみ焼却説を支持するとしながら、原因をめぐる論争があったことを記録している。
したがって、「誰かがごみを燃やしたせいで町が滅びた」という一文だけで済ませると、実際の歴史を単純化しすぎる。
本当に重要なのは、火が地下の炭層へ入り込んだあとだった。
地下では、何が燃えているのか
セントラリアの火災を考えるとき、「地下の坑道の中を炎が走り回っている」と想像すると少し違う。
燃えているのは、坑内やその周囲に残された石炭である。採掘時に残された炭柱、炭層、低品位の石炭、炭質の残留物などが燃料になる。
セントラリアでは、特にバック・マウンテン炭層(Buck Mountain Coal Bed)と呼ばれる炭層系の旧坑道で火災が続いてきた。しかも地下構造は平坦ではない。炭層は地殻変動で大きく折れ曲がり、急角度で傾く部分もある。
この褶曲した地質と、長年の採掘で造られた複雑な坑道網が、火災を極端に扱いにくくした。
火は酸素が入り込める坑道や亀裂を利用しながら進む。ある場所では速く、別の場所ではほとんど進まない。途中で崩落や不燃性の岩盤に阻まれることもあれば、別の炭層へ回り込むこともある。
地表から見て煙が出ていない場所でも、地下深くでは燃焼が続いている可能性がある。逆に、湯気やガスが出ている地点の真下にだけ火があるとも限らない。
地下に巨大な一本の「炎の壁」があり、それが一定速度で町を横切っているわけではないのである。

写真:Subsurface coal fire gas vent (near Centralia, Pennsylvania, USA) 2/作者:James St. John/ライセンス:CC BY 2.0
なぜ消せなかったのか
火災発生後、何も対策されなかったわけではない。
州や連邦政府は、水を使った消火、土や粘土による被覆、燃えている部分の掘削、遮断溝、坑道の充填など、さまざまな方法を試した。しかし、地下火災は地上の建物火災とは性質が違う。
第一に、燃えている場所を正確に把握しにくい。
第二に、炭層と坑道が広範囲につながっている。
第三に、掘削して燃えている石炭を除去しようとすると、巨大な土木工事になる。
さらに、坑道を塞いでも、地面の亀裂や別の坑道から酸素が入り込めば燃焼が続くことがある。消火工事そのものが地下の通気条件を変え、火災の進路に影響する可能性もある。
1962年から1978年までに、州と連邦政府は火災対策へ約330万ドルを投入した。しかし、決定的な封じ込めには至らなかった。
そして1983年、状況を大きく変える数字が示される。
連邦政府の調査では、火災を完全に消すには約6億6300万ドルが必要と推計された。当時の金額である。
この時点で問題は、純粋な技術論だけではなくなった。
「火を消すために莫大な費用を使うのか。それとも、危険区域から住民を移すのか」
政策の重心は、後者へ傾いていった。
地面が壊れ、道路まで捨てられた
地下の石炭が燃えると、熱や有害ガスだけが問題になるのではない。
炭鉱では、採掘後も天盤を支えるために石炭の柱を残すことがある。その炭柱が火で弱くなったり燃え尽きたりすると、上部を支える力が失われる。
その結果、地面が沈下したり、突然穴が開いたりする。
セントラリアでは、地表の亀裂から高温のガスが出る現象や地盤沈下が各所で確認され、住民の安全を脅かした。
象徴的だったのが、ペンシルベニア州道61号線(Pennsylvania Route 61)の一部である。地下火災の影響で路面が大きく損傷し、約4,000フィートの区間が1993年に閉鎖された。

写真:Closed highway from subsurface coal fire (Route 61, near Centralia, Pennsylvania, USA) 1/作者:James St. John/ライセンス:CC BY 2.0
この旧道は後に落書きで覆われ、グラフィティ・ハイウェイ(Graffiti Highway)として知られるようになった。しかし、それは公式の観光地ではない。旧道は私有地となり、2020年には所有者によって大量の土で覆われた。
現在のセントラリアを紹介するとき、落書きだらけの道路を「今も歩ける名所」のように扱うのは正確ではない。
火を消すより、人を移した
1984年、アメリカ連邦議会(United States Congress)はセントラリア周辺の住民や事業者の任意移転のため、4,200万ドルを計上した。
1985年から1991年にかけて、州側は545の住宅・事業物件を取得した。住民は別の町へ移り、取得された建物の多くは取り壊された。
こうしてセントラリアは、通常の意味での「自然に廃れた町」とは違う形で縮小していった。
人口減少や産業衰退だけで建物が空き家になったのではない。地下火災という危険を理由に、公的資金で移転が進められ、家屋が撤去されたのである。
1990年代に入ると、残る物件に対して収用手続きも進められた。住民の中には立ち退きに反対する人びともおり、裁判にまで発展した。
2013年には、残留住民の一部が州側との和解によって生涯居住を認められたと報じられている。
2020年国勢調査で確認された人口は、わずか5人だった。
ただし、ここにも注意が必要である。この5人という数字は2020年国勢調査の値であり、2026年現在の正確な居住者数を示す最新確定値ではない。
「町は消えた」は、半分だけ正しい
セントラリアを紹介する文章では、「町は地図から消えた」と書かれることがある。
しかし、少なくとも行政地理上は少し違う。
米国国勢調査局(U.S. Census Bureau)の2025年1月1日時点の現行データには、今もセントラリア・バラ(borough)が法人化自治体として掲載されている。
人口の大半が去り、建物の多くが撤去されても、自治体の名前そのものは残っている。
さらに、町には現在も活動する宗教施設がある。
聖母被昇天ウクライナ・カトリック教会(Assumption of the Blessed Virgin Mary Ukrainian Catholic Church)は、セントラリアで現在も活動を続けている。フィラデルフィア・ウクライナ・カトリック大司教区(Ukrainian Catholic Archeparchy of Philadelphia)は現在も典礼案内を掲載しており、2025年には巡礼者が集まったことも報告されている。
この教会は、セントラリアを単なる「誰もいない廃墟」に見せる語りに、別の角度を与える。
町の物理的な姿は大きく失われても、元住民や宗教共同体と土地との関係まで消えたわけではない。
火災区域は、町より広い
セントラリア・バラの面積は約155エーカーである。
一方、州環境保護局が2012年時点で示した火災関与範囲は約400エーカーだった。地下火災は自治体境界の線を気にせず、炭層と坑道に沿って広がるため、町の外にも及んだ。
ただし、この400エーカーを「現在燃えている面積」と書くのも正確ではない。
州の説明によれば、この面積すべてが同時に燃えているわけではなく、将来すべてが燃えるという意味でもない。また、2026年現在の正確な火災面積を示す新しい公表値は、今回確認した資料では得られていない。
インターネット上では「3,700エーカーが燃えている」「あと250年燃え続ける」といった数字もよく見かける。しかし3,700エーカーは、かつて示された潜在的な延焼範囲であり、現在の実火災面積ではない。
州のFAQは、制御されなければ100年以上続く可能性があるとしている。
セントラリアの火災で重要なのは、印象的な巨大数字ではなく、「地下のどこまで、どのように燃えているかを完全には把握しにくい」という性質そのものだ。
今も危険は終わっていない
セントラリアの火災は、2026年に閲覧できるペンシルベニア州環境保護局の現行ページでも、1962年5月以来続いている火災として扱われている。
州当局は火災区域について、現在も極めて危険だと警告している。
理由は、有害な燃焼ガスと、突然発生する可能性がある地盤崩落だ。
古い道路や空き地を「廃墟探索」の感覚で歩くことは、この場所の性質を見誤ることになる。地下では目に見えない場所で燃焼が続き、地面そのものが安全とは限らない。
セントラリアは、廃墟を見るための場所というより、地下資源の採掘が残した構造と、一度制御を失った火災が長期にわたって地表の社会を変えた場所として見るべきだろう。
なぜ「火」ではなく「町」が消えたのか
セントラリアの歴史を振り返ると、最も奇妙なのは火災が長く続いていることだけではない。
本当に印象的なのは、解決策の順番が逆転したことだ。
普通なら、火を消して町を守る。
しかしセントラリアでは、地下の構造があまりに複雑で、消火には莫大な費用がかかり、成功も保証できなかった。そこで政府は、町を維持するために火を消すのではなく、人を火から遠ざけることで問題を管理しようとした。
結果として、火は残り、家々が消えた。
道路は閉鎖され、住民は移転し、かつての街区の多くは空地や森に戻っていった。
それでも、自治体名は残り、数人の住民が確認され、教会には人が集まる。
セントラリアは「消滅した町」と「まだ存在する町」の間にある。
地下の火より先に地上の町が失われていったという逆説こそ、セントラリアを単なる廃墟ではない特異な放棄地にしている。
参考資料・出典
- Pennsylvania Department of Environmental Protection — Centralia Mine Fire Resources
- Pennsylvania Department of Environmental Protection — Chronology
- Pennsylvania Department of Environmental Protection — The Centralia Mine Fire FAQ
- U.S. Geological Survey — The Centralia Mine Fire, Open-File Report 92-568
- U.S. Geological Survey — Geology of anthracite in the western part of the Ashland quadrangle, Pennsylvania
- Office of Surface Mining Reclamation and Enforcement — Coal Mine Fires and Burning Refuse
- Office of Surface Mining Reclamation and Enforcement — Centralia Project
- U.S. Census Bureau — 2020 Census, Centralia borough
- U.S. Census Bureau — State of Pennsylvania Incorporated Places, Current/ACS25
- U.S. Census Bureau — 1890 population bulletin
- Nolter, Vice & Aurand (2007) — Comparison of Pennsylvania anthracite mine fires: Centralia and Laurel Run
- Ukrainian Catholic Archeparchy of Philadelphia — Assumption of the Blessed Virgin Mary Ukrainian Catholic Church, Centralia
- Ukrainian Greek Catholic Church — Centralia pilgrimage, 2025
- WITF — Centralia’s “Graffiti Highway” is finally getting erased





