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ケルゲレン諸島とは?南インド洋の「世界の果て」に人がいる理由

ケルゲレン諸島・世界の果ての風景 正体不明・未解明

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ケルゲレン諸島――人がいるのに「世界の果て」であり続ける島々

南インド洋のケルゲレン諸島(Îles Kerguelen)は、しばしば「世界の果て」を思わせる場所として紹介される。

だが、この島々は完全な無人島ではない。科学基地があり、毎年研究者や技術者が滞在している。それでも一般の旅行者が気軽に訪れることはできず、航空路もない。長い航海の末にたどり着いても、大型補給船は基地の岸壁に横付けできない。

では、なぜ人が活動している島が、今なおこれほど隔絶された場所であり続けているのだろうか。

その答えは、単純な「遠さ」だけではない。荒い海、強烈な風、複雑な海岸線、失敗に終わった定住計画、そして現代の自然保護と科学研究が重なっている。

南インド洋に浮かぶ、巨大な火山世界の一部

ケルゲレン諸島は、南緯49度、東経69度前後の亜南極域に位置する。フランス領南方・南極地域(Terres australes et antarctiques françaises)の一部で、主島グランド・テール(Grande Terre)と、その周囲の300以上の島や小島からなる。

陸地面積は約7,215平方キロメートルあるが、恒久的な一般住民はいない。

島々は、海底に広がる巨大な火山性地形、ケルゲレン=ハード海台(Kerguelen-Heard Plateau)の海面上に現れた部分である。海台につながる大規模な火成活動の歴史は1億年以上前までさかのぼるが、現在のケルゲレン諸島を形づくる火山活動は、おおむね過去約4,000万年の間に続いてきたと考えられている。

主島の西部には山地が連なり、最高地点のロス山(Mont Ross)は標高1,850メートル。氷河に削られた谷やフィヨルドが入り込み、西部には現在もクック氷帽(Cook Ice Cap)が残る。

この地形だけを見ても、港や道路をつくり、交通網を広げるのが容易な島ではないことが分かる。

飛行機では行けない。島を結ぶのは年数回の船

ケルゲレン諸島の隔絶性を決定づけているのが、交通である。

現在、島へ向かう定期的な航空路はなく、人員交代や物資輸送を担う中心的な存在が補給・調査船マリオン・デュフレーヌII(Marion Dufresne II)である。

この船はレユニオン島(La Réunion)から出発し、クロゼ諸島(archipel Crozet)などを経由しながら南方の基地を巡る。レユニオン島からケルゲレン諸島までは約3,400キロメートル離れており、クロゼ諸島への寄港を含め、ケルゲレンまでの移動にはおよそ10日を要する。

しかも、船が到着すれば終わりではない。

人間活動の中心であるポール=オ=フランセ(Port-aux-Français)には、大型補給船を受け入れられる港がない。そのためマリオン・デュフレーヌIIはモルビアン湾(golfe du Morbihan)内の沖合に停まり、人員や物資はヘリコプターや艀で陸へ運ばれる。

つまり、ケルゲレン諸島では「大型船が港に着き、そのまま上陸する」という通常の旅の感覚さえ成立しにくい。

さらに、一般旅行者向けの定期航路があるわけでもない。現在、フランス当局はマリオン・デュフレーヌIIを利用した観光滞在を提供していない。プレジャーボートによる停泊や上陸には例外的な許可制度があるものの、アクセスは非常に限定され、厳格に管理されている。陸上での移動にも地区長の許可が必要で、完全保護区域や科学研究専用区域には立ち入れない。

遠いだけではなく、交通、行政、自然保護の三重の条件が、この島々を簡単には近づけない場所にしている。

ケルゲレン諸島の科学基地ポール=オ=フランセ
ケルゲレン諸島で人間活動の中心となるポール=オ=フランセ科学基地。
写真:2020-11 Kerguelen Islands – PAF 31.jpg/作者:Antoine Lamielle/ライセンス:CC BY-SA 4.0

氷点下の地獄ではない。それでも厳しい理由

ケルゲレン諸島という名前から、南極のような猛烈な寒さを想像するかもしれない。

実際には、代表的な年平均気温は約4.5℃である。真冬でも平均気温は0℃を大きく下回るわけではなく、南極内陸のような極寒とは性格が違う。

厳しいのは、むしろ風と天候だ。

島々は南半球の強い偏西風帯に位置し、平均風速は時速約35キロメートル。時速150キロメートルを超える風も頻繁に観測され、最大級では時速200キロメートルを超えることがある。雨や雪の日も多く、天候は変わりやすい。

そのため、気温の数字だけでは現地の厳しさを表せない。船の運航、ヘリコプター輸送、野外調査、建物の維持――人間の活動すべてが風と海の状態に左右される。

「南方大陸」を見つけたはずだった

この島々がヨーロッパ人に知られるようになったのは18世紀である。

1772年、フランス海軍士官イヴ=ジョゼフ・ド・ケルゲレン・ド・トレマレック(Yves Joseph Kerguelen de Trémarec)の遠征隊が島々を確認した。当時、南半球には巨大な未知の大陸が存在するという考えが残っており、ケルゲレンは自分がその一部を発見したと考え、フランス・オストラル(France australe、「南方フランス」)と名づけた。

しかし、その期待は長く続かなかった。

1776年にはジェームズ・クック(James Cook)が島々を再訪した。クックは発見者にちなむケルゲレンの名を残す一方、荒涼とした環境について「荒廃の島」とでも呼びたくなるという趣旨の記述を残している。

未知の南方大陸の一角と期待された土地は、実際には海のただ中に孤立した島群だった。

その落差自体が、当時の人びとにとってこの海域がどれほど未知だったかを物語っている。

人は何度も、この島を「使える土地」に変えようとした

隔絶した島だからといって、人間が放置してきたわけではない。

1893年にフランスが正式な領有措置を行うと、アンリとルネ=エミールのボシエール兄弟(Henry et René-Émile Bossière)は50年間の開発権を得た。その後、20世紀初頭には捕鯨や牧畜による開発が試みられた。

1908年にはポール=ジャンヌ=ダルク(Port-Jeanne-d’Arc)に捕鯨基地が建設された。ノルウェー側との協力でつくられた施設で、約140人が生活し働ける規模を想定していた。フランス領南方・南極地域の行政当局は、これをフランス領土に設けられた唯一の捕鯨工場と説明している。

しかし、事業は長続きせず、1920年代末には基地は放棄された。

ケルゲレン諸島の旧捕鯨基地ポール=ジャンヌ=ダルク
1908年に建設され、1920年代末に放棄されたポール=ジャンヌ=ダルクの旧捕鯨基地。
写真:PJDA depuis le Marion.jpg/作者:franek2/ライセンス:CC BY-SA 3.0

さらに、島を牧畜地として利用しようとする試みもあった。

ボシエール兄弟は、フォークランド諸島(Falkland Islands)のような羊毛生産地をケルゲレンにもつくろうと考え、ポール=クヴルー(Port-Couvreux)で羊の飼育を試みた。1927年には家族まで移住し、定住社会を築こうとした時期さえある。

しかし、強風、湿潤な環境、乏しい牧草地、輸送と経済条件などが重なり、計画は持続しなかった。1931年3月、最後の4人が島を離れ、ポール=クヴルーの定住計画は終わった。

ケルゲレン諸島は、人が生きられない場所ではない。

むしろ、人間が「ほかの土地で成功した仕組みを、そのまま持ち込める」と考えたとき、その前提が通用しなかった場所なのである。

現在いるのは「住民」ではなく、交代する滞在者たち

20世紀半ばになると、ケルゲレン諸島の意味は大きく変わった。

1950年代初頭、ポール=オ=フランセに恒久的な科学・技術基地が整備され、島は経済的な植民の対象から、観測と研究の拠点へと性格を変えていった。

現在の基地には、越冬期でおよそ60人、夏季の観測期には最大約120人が滞在する。研究施設だけでなく、気象観測、通信、衛星追跡、医療などの設備も置かれている。

ただし、彼らは一般住民ではない。一定期間の任務を終えると交代する研究者、技術者、行政関係者たちである。

このためケルゲレン諸島は、「無人島」と呼ぶには人が多すぎる一方、「有人島」と呼ぶと普通の町があるような印象を与えてしまう。

実態に近いのは、人間が常に滞在しているが、恒久的な一般住民による定住社会を持たない島という表現だろう。

人間が持ち込んだ生き物は、島に残った

人間の定住計画は失敗したが、その痕跡は消えていない。

ウサギ、ネコ、ネズミ、トナカイ、マス類など、さまざまな外来生物がケルゲレン諸島に定着したからである。

なかでも意外なのがトナカイだ。1955年に導入され、その後個体群が広がった。現在では、生態系保全のための管理対象になっている。

ウサギも19世紀に持ち込まれ、在来植生に大きな影響を与えたことが研究されている。

「手つかずの果ての島」というイメージとは裏腹に、ケルゲレンの生態系には人間の歴史が深く刻まれている。

隔絶した島でも、人間が持ち込んだ生物の影響は消えない。むしろ外来種対策は、現在の自然保護における重要な課題の一つになっている。

氷河が縮んでいる理由も、単純ではない

ケルゲレン諸島は、地球規模の気候変動を調べる場所としても重要である。

西部のクック氷帽は過去数十年で著しく縮小している。

1983年に撮影されたケルゲレン諸島のクック氷帽南縁
クック氷帽南縁。1983年撮影。現在の氷河範囲を示す写真ではない。
写真:Kerguelen CookGlacier.JPG/作者:B. Navez/ライセンス:CC BY-SA 3.0

ただし、その原因を「気温上昇で氷が解けた」とだけ説明すると不正確だ。

2016年に発表された研究では、1960年代以降に進んだクック氷帽の質量収支悪化について、その約77%を南半球中緯度のストームトラック(storm track)の極方向移動に伴う大気の乾燥化で説明できるとモデル推定している。つまり、降水量の減少が重要な要因で、気温上昇はそれを増幅する側面を持つと考えられている。

島の氷河は、気温だけでなく、風や降水を含む大気循環の変化を記録しているのである。

都市や農地から遠く離れたケルゲレンだからこそ、こうした長期的な変化を追跡する価値が高い。

隔絶は、欠点ではなくなった

かつて人間は、ケルゲレン諸島の隔絶を克服しようとした。

捕鯨基地をつくり、羊を飼い、家族を移住させ、「普通の土地」のように利用しようとした。しかし、多くの計画は長続きしなかった。

現在、その評価はほとんど逆転している。

人が少ないこと。大都市から遠いこと。海と大気の影響を強く受けること。陸上の大規模な産業活動がほとんどないこと。こうした条件は、気象、海洋、生態系、氷河、海鳥、海棲哺乳類を長期観測するうえで大きな価値になる。

2019年には、ケルゲレンを含むフランス南方の島々と周辺海域が、ユネスコ(UNESCO)の世界自然遺産「フランス南方地域の陸と海(French Austral Lands and Seas)」に登録された。2023年には世界遺産の境界が拡張され、現在は広大な自然保護区と世界遺産の一部として、生態系保全と科学研究が重視されている。

さらに2025年11月から2026年11月にかけては、ケルゲレンで1年間を過ごす人びとを対象に、長期隔離が免疫系へ与える影響を調べる研究も進められている。

つまり、かつて克服すべき障害だった「隔絶」が、今では研究対象であり、保全すべき条件にもなっている。

「世界の果て」と呼びたくなる理由

ケルゲレン諸島を隔絶された場所にしているものは、距離だけではない。

航空路がなく、長い航海の末に到着しても大型補給船は岸に着けない。強風と荒天が日常で、上陸や移動には厳しい管理がある。過去には定住を試みた人びともいたが、その社会は残らなかった。

それでも島から人間が消えたわけではない。

むしろ今では、研究者たちが交代で暮らしながら、この孤立した環境だからこそ得られる観測を続けている。

ケルゲレン諸島は「誰もいない世界の果て」ではない。

人が何度も世界の中心側へ引き寄せようとしながら、最後にはその遠さ自体を守り、利用するようになった場所なのである。


参考資料・出典

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